自然と善悪

自然の中には悪も善も無くて、人間が、自分に関わる事柄を、ときに善、ときに悪というだけだと思いますが、まあ、人の観点から。

[「進化:ダーウィンを継ぐもの」対談:ドーキンス vs レニエ]

レニエ:それというのも,進化は,悪と理解されるべき唯一の自然の力だからです。私たちを作り出した進化の過程は,酷いものでした。

ドーキンス:私が思うには,自然淘汰は,本当におぞましい悲惨さの積み重ねの代表だ。跳躍しているライオンとか疾走しているチーターのようなものと,それらが飛びかかろうとしてたり追っかけたりしているアンテロープを見るときには,厄介な武器競争の最終産物を見ているわけだ。その武器競争の道端に沿って,速く走る武器を手に入れられなかったアンテロープの死体や,飢えて死んだライオンやチーターの死体が横たわっているのさ。だから,私たちが今日世界で目にする,すばらしい美とかエレガンスとか多様性を生じさせたのは,おそろしい悲惨さの過程だというわけさ。

結局、生き物を考えるとき、自然科学によってたどり着くのは、上のような考え方じゃなかろうかと思います。悲惨な積み重ねの上に僕らがいるわけです。けれども、そういう考え方は多くの人が嫌うように見えます。人間という種に高い善性を見いだしたい。倫理と道徳がわれわれのなかにあると思いたい。たとえば、水にまで人間の道徳をあてはめようという「水からの伝言」、あのたぐいの話を信じるのは、そういう心理が作用しているのではないかと思います。でも、そんな考え方では生き物を見誤るのではないかと思います。当然、生き物の一種であるうちら人間自身についても。
ただ、ドーキンスとレニエは、それでも我々は正しく振る舞うことができるのだといったことを上でいっていて、僕もそう思いたい。信じたい。ちっとも正しくない僕ではありますが……。