ロリコンを擁護する人の無理筋な理論展開

ロリコンを馬鹿にできる人の無邪気なメジャー信仰|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

持論の展開に都合がいいネタも持ち出し、もしくは作って論を展開するなあ……。

自然なのは「欲情する」ことだけで、「成熟した女に」は実のところ学習の結果にすぎない。

悪しき文化相対主義の典型じゃないだろうか?
人間より、性にかんする振る舞いが単純と思われる動物、たとえばマウスで、性行為の経験がない雄が間違って別の雄にマウントしてしまうこともあるという。単純な動物でも経験から学ぶことは多いわけだが、経験からすべてを学ぶという考えは妥当とは考えられない。人間なら、成熟した女性に付随する特徴に対して欲情するよう学習しやすくなる傾向を持って生まれていると考えるほうが、学習をあまりに強く見過ぎるよりは妥当に思う。
最初の段のほかもかなり無茶な記述が続いている。

昔は、女を抱く素晴らしさを喧伝する大人がいて、快楽を期待させる異性が周囲にごろごろ転がっていた。また、ひとりの人間の生活空間は今ほど隔絶されておらず、性的場面との接触可能性もずっと高かったろう。そして、向こう三軒両隣程度の世間に生きていれば、性的対象として年頃の異性や婀娜っぽい年増女以外を選ぶほど、多様な価値観にも偶然の出会いにも恵まれてはいなかったはずだ。働ける歳になれば日中は働くよりなく、夜は寝るかセックスするくらいしかやることがなかった。欲望をシコシコと鍛え上げ、妄想を逞しくしている余裕なんて庶民にはなかったろう。

この人のいう昔ってのはどういう昔なんだろうか?
また、どこの国なんだろうか?
たとえば江戸時代の庶民の生活って、結構、豊かだったという話はちょっと調べれば出てくる。もちろん、貧困もそこかしこにあったわけだけど、働くしか無いような時代じゃない。百姓なんかも別に搾取だけされる存在じゃない。結構、きちんと自分たちの欲望のためにお上に無理をいい、自分たちの都合を押し通すところがあった。
また、「女を抱く素晴らしさを喧伝する大人がいて」なんてあるけど、今は、そういうことをストレートにいわないだけで、恋愛がらみのことを素晴らしいと喧伝する人は多い。「快楽を期待させる異性」が今はいないような書きぶりだけど……。そんなにlylycoさんのまわりの女の人って魅力のない人ばっかりなのだろうか? また、昔いたという快楽を期待させる異性ってどんなものなのだろうか?
生活範囲は広くなかったろうけど、色町に繰り出すなんてことはあったろうから、出会いの可能性もそれなりにあったろう。
日本の僧院の男児に対する性愛や、キリスト教の神父たちの児童性愛の話なんて、めずらしくもない。
殿様やら貴族やらじゃなくても、今とおなじく馬鹿はやってたと考えて間違いはないだろう。

性的イコンとしての萌えキャラも女子高生もなかった。

江戸には浮世絵ってものがあってな……。それに、ずいぶん昔の遺跡(どこの国だったか忘れた)からフェラチオをする姿を模した人形が発掘されたこともあるという*1。イコンなんて昔からあったろう。今ほど多様じゃなかったろうが、それぞれの時代に僕らのご先祖様たちは、そのときそのときの性的娯楽を楽しんだろう。

性的場面は徹底して隠蔽され、性に目覚めた子供らは欲望の対象を、特に「成熟した異性」に誘導されることなく育つ。かくして「成熟した異性」以外のものに興奮を覚えてしまう可能性はぐっと高まり、そこに生まれたあらゆる性的嗜好はメディアの波に乗ってあっという間に可視化、共有される。

おねえちゃんのグラビアやらヌード写真、エロ動画などなどがあふれている今の世の中で何を言っているんだろうか? こういうお姉ちゃんが魅力的なのよ〜みたいな情報はあふれにあふれている。
lylycoさんが持論の展開のために持ち出す社会のありようは、あまりにも突拍子がない。

成人異性愛者が小児同性愛者*2を馬鹿にするのは、EXILEファンがKENSOファンを馬鹿にするくらい文化度の低い無邪気なメジャー信仰にすぎない。

これ、EXILEのファンもKENSOのファンも馬鹿にしている。どちらのファンであることも、誰かを傷つけることにはならない。小児同性愛は対象にされた子供を大きく傷つける。小児同性愛って、実際にやっちまったら、力も弱く、経験も未熟な相手から、多くを奪うことになる。非常に暴力的なものだ。そういう視点が無く「文化度の低い」なんて言葉を使える人こそが文化的じゃない。
また、lylycoさん、別の記事*3で、

そんな「怖い」性行為をぼくは当然支持しない。

って書いている。
支持してるじゃない。
成人異性愛者と小児同性愛者との関係を、EXILEファンとKENSOファンとの関係にたとえられるほどに、その「怖さ」に全然気づいていないんだから。

(修正)
ちょっと読み違えているところがあったから、修正した。ただ、論旨は変わっていないと思う。

(追記)
上の記事、追記で死姦趣味を持ち出してきてるんだけど、それは論をさらにひどくしているだけ。
死姦の忌まわしさと、小児性愛の忌まわしさは、その忌まわしさの根っこがだいぶ違う。
死姦は忌まわしいけど、人を殺して死姦を行うのじゃなければ、対象者は別に苦痛を感じない。死んでるのだから。
小児性愛は子供が大きな苦しみを受ける。人倫や法律には引っかかるけど、対象を苦しめることなくやろうと思ったらできないことはない死姦*4と、対象を損なうことなく行うことは、まず不可能と思われる小児性愛。死姦を持ち出しても意味はない。
もっとも、別の何かをもちだしたところで、他の部分がぐだぐだだから、どうしようもないんだけど。

*1:読んだ本が出てこない。福田和彦さんか誰かの本だったような気がするんだが……。

*2:ここでいきなり小児「同性愛」と変わっているのに気づかなかった。

*3:性的欲望の対象になることが怖いのは何故か?

*4:人がごろごろ死んでいる地域だったら比較的容易にできるだろう。