「嫌オタク流」感想文その1。世代の違い。

オタクは、世代が違うとかなり違います。もっとも、オタクだけじゃなくて、多くの場合、5年程度年が離れているだけで触れたもの(人気のある芸能番組や漫画だけではなく携帯電話などの道具も)が大きく違って、世代間の差ってやつを感じさせられます。海老沢、更科両氏は同年代なんですが、僕らは古い世代の*1、最近の流行についていけないオタクではないかと思います。んで、たいがいにおいて、年寄りは若者が嫌いです。オタク業界でいたところで、新しい世代のオタクとつきあいがあるとは限りません。つきあいがあっても、ああもう最近の連中はと思うところで考えるのを止めて、理解しようと努めるとは限りません。年寄りオタクが若いオタクにいう言葉の定番に「あんなのが流行っているの、今はあんなのが面白いの?」というのがあると僕は思ってるんですが、まあ、そんなものです。本著、年寄りオタクが自分が理解できない若いオタク像を作り上げて、あげつらっている感じがします。的を射ていると思える部分は多くありますし、自分自身も持っている嫌な部分もありますが、そこまでおかしなやつは滅多にいないんじゃないのか……とも。まあ、あるものの特徴を大げさに言って、もてはやしたり叩いたりするのは一つの技法かなとも思いますし、その方が商品として面白くなるとは思いますが、ちょっとやりすぎ感が漂っています。中原昌也さんがオタクのメンタリティは一般人と同じじゃんと言ってましたが、そりゃそうでしょう。世間で非難されるタイプのオタクであっても、単に恥ずかしい(=世間に認められない)趣味を持っていて、空気を読む能力に欠けている(=処世術を知らない)だけのことです。人外の魔物じゃありません。同じオタクとくくられるものであっても、個々に取り上げれば色々で、旧世代が新世代を理解しにくいのは、オタクもまた同じ。本著は旧世代が新世代をあげつらっているものとして読めるかもしれません。
僕は、旧世代のオタクが若い世代を叩いているように見えるものじゃなくて、今の「萌え」というもののど真ん中にいて、ある程度理論武装した若いオタクの人がこういう対談をやればいいのに、と思います。まともなものになるか痛いものになるかは神のみぞ知るですが。ただ、若い人は、まだ大学生だったりして、業界でこの手の仕事ができる位置についていないだろうなとは思います。そして業界にある程度位置を占めた旧世代が、新しい世代にそうそう場所を譲るわきゃありませんから(これはオタク云々じゃなくて、人は皆そうですね、なんでせっかく手に入れた自分の居場所を他人にゆずらにゃあならんのだ?という)、無理かな〜とは思いますが。なお、「萌え」やそれに類するもの自体は別に新しいものじゃありませんが、ここまで「萌え」が純化したというか強まったのは最近のことなわけで、旧世代の僕としては、ちと追いかけるのは疲れますし、ついて行けない部分もあります。そういうことを思っている人、結構いるんじゃないでしょうか? だから、今、純化した「萌え」の洗礼を受けている若い人による対談を聞いてみたいものだと思うわけです。若い分、ひねたおっちゃんらの相手をするには貫目がたりず、相手に飲まれて、まったく対談にならないということも考えられますが。


(追記)
kiya2014さんのはてなブックマークにてブックマークされていたのですが……。

この人は何のためにテキストサイトやブログや2chやコミケ文学フリマがあると思っているんだろう。

どこを差しての言葉かいまいちわかりませんが、テキストサイトやらブログやらといったネット上の情報や、コミケなんかのイベントに参加したり調査したりするだけでオタクがわかるということなのでしょうか? そういう情報から好みの傾向や今はやっているものなんかはわかるとは思いますが……。

*1:もっと古い世代はいるわけですが、今の20代ぐらいの人たちから見れば、僕らは十分旧世代です。たまに、年下でも、なんでそんな古い作品にくわしいんだ、君は?というのがいますが……そういうのは特殊な例です。