「美味しんぼ」第92巻

桜えび漁の話が実にクサかった。桜えび漁というネタ自体は面白く、そのシステムは優れたものだなと、システムを作り上げた人や、運用している人たちの労力に頭が下がる思いなのですが、山岡(=雁屋哲先生)の受け取り方がなんとも言えない嫌な臭みを持っていました*1
以下は、桜えび漁に対する山岡の台詞です。

桜えび漁はプール制で、獲れた桜えびは平等に分けるからみんなの桜えびだ。
だから協力し合って働くんだよ。
驚くのは、誰ひとり号令をかける者がいないのに、一糸乱れぬ共同作業を展開することだ。
少し獲れても、たくさん獲れても、分け前が平等となると怠けて楽をするやつが出てくるもんだぜ。
ひとりでもズルをする人間がいたら成り立たない制度だ。それがここでは見事に成立している。

笑うところなのか、古くさい思想に凝り固まっている雁屋哲先生のために泣いてあげるべきところなのか、僕には判断がつきません。雁屋哲先生は無政府主義的、共産主義的な先生のご趣味が強く出てくると作品がとたんにつまらなくなります。由起賢二先生と組んだ「野望の王国」→「獅子たちの荒野」(国が俺たちに何をしてくれた〜)、池上遼一先生と組んだ「男組」→「男大空」(金持ちから奪ってみんなに分け与えるんだ〜)と、それぞれ後に書いた作品は駄作じゃないのですが……、おもしろさは先に書いたものに劣ります。そして、本作「美味しんぼ」は山岡結婚あたりから(もっと前から?)雁屋哲先生の趣味がだんだんと強くでるようになり(以前も出てましたが、より以上に。というかめんどくさくなって押さえなくなってきたというか……)、それに比例してどんどんつまらなくなっていきました。まあ、単に長く続いて書くのがおっくうになっただけなのかもしれませんが。とまれ、もうちょっと趣味を押さえていた頃なら、こんな寝ぼけた、まんま共産主義への思慕の情だだ漏れの台詞を山岡に言わせることはなかったでしょう。
桜えび漁では、とった獲物を全員で平等に分け合うそうですが、そのシステムを共産主義と重ね合わせて喜ぶのはいかがなもんでしょうか。雁屋哲先生は動物行動学あたりで扱っている動物の互恵行動がらみのトピックをいくらか調査すれば良いんじゃないだろうかと、そう強く思います。
雁屋哲先生は、よく山岡に「それは科学(この場合、自然科学でしょうね)的じゃない」といったことを言わせます。食物に関しては持ち出してくる科学は、離乳食に蜂蜜みたいなあほげた話を書くこともあり、あやうい感じはするんですけれども、結構なるほどと思うことも多いわけです。しかし、こと人間がらみの分析には山岡の台詞や行動からは科学のにおいはしないんですね。桜えび漁の話では、ズルに関してとんちんかんなことを言っています。「ひとりでもズルをする人間がいたら成り立たない制度だ。それがここでは見事に成立している」。ズルをする人が出ないようなことをばかげた台詞を吐きます。他人におんぶにだっことか、獲物をちょろまかして、自分の取り分を増やそうとする人、きっといる、もしくはいたことでしょう。ですが、きちんと制裁を加えられたはずです。ズルしたものに対して制裁する仕組み(機構)が備わってなくて、まっとうにシステムが動くわけ無いでしょうが。ズルをした場合、他のみんなにはいく連絡が自分にはこない、他の船とペアを組む必要があるのに誰も自分と一緒に漁に出てくれないなどなど、心を入れ替えるまで(泣きを入れるまで)様々な形で制裁を加えられると想像します。また、その手の話は漁港の人たちは外に向かって、そうそう話すことはないとも考えます。もちろん、この制裁機構は僕の想像にすぎないのですが、ズルをした人間を制裁する仕組みが無いシステムにおいては、ズルをした方が楽です。真面目な人だって、ズルをする連中のために働いているのかと、働くのが馬鹿馬鹿しくなります。そんなわけで、桜えび漁のシステムが制裁機構が無い、間の抜けたシステムだとは考えられません。雁屋哲先生、今なお共産主義への夢がぬぐいきれないのかもしれませんが、シビアな現実を背負ったシステムと、頭でっかちが人間の本性を無視して机の上でこねくり回してでっち上げたシステムを重ねてみるのは、ホントよしてください。

*1:桜えび漁の話は、飛沢がらみなのですが、第91巻で一番臭みのある話だった、スマトラ島沖地震を扱った話も飛沢がらみでした。飛沢の出てくる話はこんなんばっかりですか?