女性の時代

ちょっと飛ばしぎみに。
徳島新聞のコラム鳴潮10月13日づけは、結構脱力ものです。
「やはり二十一世紀は女性の時代なのだろう。」で始まるわけですが、最後のくだりにへなへなとなりました。

「元始、女性は太陽であった。真正の人であった」との言葉を残したのは平塚らいてう。「女性には政治をきれいにする力があふれている」と話したのは市川房枝。二人は女性による社会改造に命を燃やした。暗い世相に光を当てるのは女性なのかもしれない。頑張れ! 女性議員。

市川房枝に対しては、山本夏彦さんが「女性が選挙権を持っても世の中は変わりませんでした」といったことを、よく書いていたのを思い出します。そして、「女性には政治をきれいにする力があふれている」なんて、今の世の中誰が信じるのでしょうか? 多くの女性政治家が電波かっ飛ばしたりしているわけでして、男も女も同じ人間、バカの姿に変わりなしってのを、さんざん見せつけてくれています。さらにつけたしゃ、老いも若きもバカの姿に変わりなしでもありますが。と、バカの一人の俺がいう。
「やはり二十一世紀は女性の時代なのだろう。」
ええ、女性の時代だと思います。女性が活躍する時代というのも確かでしょうが、加えて、今まで持ってなかった力をもったことで、男といっしょに女性も豪快にバカをやる時代になるのだろうとも考えます。ただ、男女のもつ総合的な力(権力とか金力とか)の差がかなり近づかなければ、互いに豪快にバカをやる*1時代が本当の意味で到来したとはいえないと思われます。みんながバカをやる時代が到来するよう、女権拡大闘争闘士の方々にはがんばっていただきたいところです。ちゃかしてるんじゃなくて、僕は男女の格差がぐっと小さくなれば、男女がともに大バカをやる時代がやってくると考えていて、それはそれでいいのかもしれんねと思っています。ただ、その社会は女性が生きるのはぐっと楽になるんではなかろうかと想像しますが、自分のごとく環境の変化になかなか適応できないタイプの人間には生きにくそうではあります。なってみないとわかりませんが。

*1:女性を個人個人で見れば、先の政治家の例じゃありませんが、金力や権力を持った個人がバカをしてるというのは結構いてはると思いますが、全体的な傾向をここでは考えます。全体を見ると、よりバカなことをやっているのは、やはりわれわれ男です。ははは……。