専門外

以下の斜体青地にしている部分については、
http://d.hatena.ne.jp/hoshimin/20051229#1135842551
を参照ください。




九条歌人の会発会講演会報告
上blogはローカルルールで、無断引用するなと書いているので、引用は止めておきます。ローカルルールを読んでいると、引用、著作権、リンクなどに対するスタンスが僕とは全然違うようで揉めると会話になりそうにありませんから。


上の記事の憲法9条がらみは正直どうでもいいです。目新しいこと言葉は特になく、平和な時の平和論の域を出ていません。ハーグ平和アピールが採択したアジェンダのように、多くのどうしようもなさを抱える世の中、ときには武力も必要であるといった考えには百万年経っても至ることはないでしょう。暴力を抑えられるのは、ほとんどの事例において、より大きな暴力でしかない(嫌な話ですが)という、どうしようもない現実は目に入らないのでしょう。


それよりも辻井喬という方の話が紹介されているわけですが、数学にからんで、どういうことを言ったのか詳しく知りたいところです。辻井喬さん曰く、日本からは数学の大天才は出ないそうですが……、どういう人が出れば大天才なんでしょうね? 江戸時代の人ですが、和算で大きな業績を残している関孝和なんかはどうなのか? 関孝和は日本人じゃない? まあ、和算の業績は当時西洋の学会との接点もなかったわけで、日本国内で閉じちゃってますが、素晴らしい業績であることに変わりはありません。また、フェルマー予想の解決に大きく貢献した谷山・志村予想、岩崎理論は? 優れた業績を残している日本人はいくらもいます。まあ、「大」天才と言えるかといえば難しいのかも知れませんが、素晴らしい数学者はいます。ただ、現在の数学教育は円周率を3にしたりと、かなり馬鹿馬鹿しいので、数学的素養の底辺が貧弱になって、優れた業績をなす人は少なくなるかも知れません。さらに、辻井喬さん、インドのある村でノーベル賞学者が3人出た理由として美しい建物を見て育ったとか、そんな理由が挙げられています。感性が重要といいたいわけですか。けれども、それならヨーロッパ諸国には美しい建築物、街並みがそこかしこにあるわけでして、その辺の国々にも同じ村からノーベル賞受賞者が複数人出るような村や町が多くなきゃいかんでしょう。インドのノーベル賞受賞者の話は、インドで行われている高度な数学教育の成果だと考えます(数学教育に力を入れている芳沢光雄先生が自身の著書の中でその辺の話をしています)。感性は重要ですが、感性だけでは学問はできません。
なんというか、辻井喬さん、ご自身の専門には感性が鋭いのでしょうが、他の分野に対する感性は鈍く、そしてそれに気づいていない人じゃないのかと。専門以外(もしくは、興味のないもの)に鈍なのは、自分含め多くの人がそうだと思います。いえ、あらゆるものに鋭い人はいない、いたとしても、別にいいのですけれども、きちんとした講演のネタにするなら、もうちょい数学について調べてからにしたらどうかと思います。まあ、辻井喬さんの言葉は、ほんの数行にまとめられて紹介されたものですから、実際にはもっと注意深く発言しているのかも知れませんし、詳しい内容を知れば本記事は見当違いになるかもしれませんが、あまり、そうは思えないというか……。