異なる「正しさ」を奉じて

[大塚英志のおたく社会時評]
(http://d.hatena.ne.jp/./seijotcp/20060224 より)

 <おたく>の問題とはつまりはそういうことだ。あんたもぼくもただのサブ・カルにすぎない。だが、幼女を殺さず、サリンをまかず、サブ・カルであり続けることは可能なのか。
 そこで、サブ・カルをやめて国家とか教科書問題に逃亡するのは反則もいいところである。
 そうではなくて、くり返すが、人はいかにして、幼女を殺さず、サリンをまかないサブ・カルでいられるかを考えること。そっちに行かないサブ・カルたること。

大塚英志さんの昔の言葉。1997年のもののようですね。約10年前ですか。
国家に逃亡するのは反則といっていた人が、憲法第9条護持のような正義(現在の日本だと国家とは反対側にある「正しさ」)に逃げちまったのは悲しいものですね。人の考えはとしつきとともに変わるわけで、変わるということ自体は別になんの問題もありませんが……。