弱いやつは死ねとストレートにいうやつのが、まだ、マシ

[華氏451度:テポドン騒ぎ――陰でほくそ笑むのは誰か]

最後の方、本気?

ついでに余談――私は愛国心ゼロなので、「祖国」が滅びても別にかまわない(いや、かまわなくはないのだけれども、薄汚く存続するぐらいならすっぱり消えて出直した方がいい)

「祖国」が滅びても別にかまわないって……、どういう了見ですか? 日本という比較的安全で豊かな集団の中にいるから、僕らはある程度安穏として暮らしていられるんじゃないのですか? もちろん、集団の大多数の利害と個人の利害がぶつかるとか、集団を運営している連中があほなことをやるなんてざらで、集団にはデメリットもあって、そしてわが日本も制度やらいろいろにがたがきているから、苦しんでいる人は多いわけですが……。それでも、国っていうでかい集団が滅びれば、そのときに生まれる混乱や苦しみは大変なものになると思います。一番苦しむのは力のない人間や、新しい環境になじめない人間、つまりは弱い人間だと思うのですがね。

国破れて山河あり、という。山河とは限らないが「国」が滅びても生き続けるものはあり、私はそれらのほうがよほど大切だと思っているのだ。所属する人間を締め上げ、弱い奴は死ねとうそぶき、シタリ顔でエセ倫理を説く「国家」など、さっさと犬に食われてしまえばいいのである。

国が滅びてもかまわないと、そのときに何が起こるか考えずに言い放つ人間が、弱者に死ねといっているものを批判して、なんの説得力があるものか。弱い奴はいらないから死ねというものの方が、言動が一致している分、まだましです(ましなだけね。どっちもどうしようも無いけれども……)。弱者を気遣っているような言葉を発しても、わずかばかりも実がない。あるのは己が欲する空虚な正義だけです。