東北と北東

[中日新聞 - 「北東」と「東北」]
[薫のハムニダ日記 : 国際政治学者の文章を読んでみよう(2)]より)

 「日本、中国、韓国を含んだ地域を日本では『北東』アジアと呼ぶ。なぜ『東北』アジアではないのか。『東南』アジアを『南東』アジアとは呼ばないのに」

 いきなり意表を突かれた。先日、中日懇話会で講演した東大教授・姜尚中(カンサンジュン)さんの言葉だ。在日二世で、日朝問題などに精力的に発言する気鋭の政治学者。冷静な語り口と明快な論理は、テレビの討論番組と変わらなかった。

 彼は続けた。「それは英語の『ノース・イースト・エイジャ』をそのまま訳して使っているからです。中国でも、韓国でも東を先に『東北』アジアと言っているのに、日本だけが北を先にしている」

 日本では、方角を「東西南北」の順で言い表すように、伝統的に東西が基軸だ。「日出(い)ずる国」であり「西方浄土」の思想が根強いからだろうか。「東奔西走」「西も東も分からない」といった言葉も多い。南や北より先に持ってくるのが普通で、特に地域を指す場合はほとんどそうだ。国内の東北地方も、北東地方とは呼ばない。確かに「北東アジア」は例外と言える。

 中国は現代でこそ「東南西北」の順が一般的だが、かつては日本と同じ「東西南北」。韓国もやはり「東西南北」という。いずれにしろ東は北より先で「東北アジア」の呼称は伝統にのっとっている。

 一方、英語圏は「北南東西」の順で、逆に北と南が基軸である。フランスやドイツも同じだ。欧米では、太陽より不動の北極星を中心に据えるためという説もある。

 なぜ日本は英語の借り物を使うのか。姜さんは「東北アジアについて、日本が真剣に考えてこなかった」からにほかならない、と指摘した。

これは「東北アジアについて、日本が真剣に考えてこなかった」からとはとても思えません。方角を言う場合、北北東とか東北東とか色々な言い方がありますけれども、どういう風に東西南北を並べれば座りがいいのかという考え方自体が世間から失われていると思います。今の日本人で東西南北のどれに重みがあるかを問われてわかる人って、どれぐらいいるでしょうか? 情けない話ですが、僕は上の記事を読むまで知りませんでした。
実際、「ほげほげのあたりから北東の方にね進めばいいよ」と言われようとも、「ほげほげのあたりから東北の方にね進めばいいよ」と言われようとも、たいがいの人はどちらでもかまわないと思います。むしろ、東北という言葉の方に違和感を感じる人が多いのではないでしょうか? 地図を見るとき、たいがい北を基準に考えると思います。多くの人は、その習慣が身に付いていると思います。方角で重みを持っているのは、東西よりも北南に移り、東西を中心とする考え方は、一部にしか残っていないのではないでしょうか。ですから、北東アジアという言葉も特に気にならないのだと思います。
北東アジアという言い方って最近のものじゃありませんか? 東南アジアは僕が小学生の頃にはすでに通っていた名前です。東西という方角に重みがあった時代のものが今も使われている、そう思います。北東アジアは最近使われ始めたゆえに、東西の重みが消えて失せたあとだったから、"North-East Asia"をそのまま訳して別に気にならない。それだけの話ではないかと思います。もっとも、東南アジアが広く使われるようになったのはいつからなのか、北東アジアはどうなのか、正確なデータはありませんから、この点に関しては大きくはずしているかもしれません。
なんにせよ、北東アジア軽視というものが、うちら日本にはあるだろうなとは思いますが、東北アジアではなく北東アジアと呼ぶことをもって、その証左とするのは、あまりにも無茶な話です。ただ、学者の感覚というのは世間から乖離したものがありますから、東西南北の重みを世間でのとらえ方ではなく、本の知識そのままで考えれば、上の話も無理筋ではないかなとは思います。あくまで、姜尚中さんの中で無理筋ではないだけで、世間の実情から乖離しているとは思いますが。
ちなみに新聞記者さんには、もうちょっと考えて記事を書いたらどうですかと言いたいけれども、東大の教授に言われたら信じてしまいますよね。とくに姜尚中さんは非常に頭のいい人です(韓国や北朝鮮がからむと、とたんにねじれたナショナリズムから、まともな事をいわなくなる印象がありますが……)。信じるのも無理はないかなと。まあ、そこでホントか〜?と意地悪くなって欲しいなと思いはします。