近景では悲劇、遠景では喜劇

上で紹介した記事のコメント欄中のblog主さんのコメント、すごいです。

私は中絶させる男も中絶する女も「同じぐらいに悪」だと思っています。
当然、仮に爆破するとしても、レイプや病気などの致し方ない
中絶をした人達を省き、身勝手な中絶をした男女を誘い出せるように仕組みます。

では、なぜ私は文面上、特に女性を忌み嫌っているのか?
それは「中絶議論事件」の時もそうですし、
喪男道に於いてもそうですが、身勝手な中絶は男女同罪という
考え方に共感してくれたのは、圧倒的に男性が多かったからです。

そして何より、「自分の罪を認めず、男性側に押し付ける女性」
というパターンが非常に多く、それゆえに「女性の方がより見苦しい」のです。
また、女性は往々にして「同性を庇う、同性を責めない」傾向があります。
男性の場合は、同性に対してもかなり厳しいのですがね。

女性が、女性自身の手で苛烈に「身勝手な同性」を責めてくれれば、
何も私がいきり立って非難する必要は無いのです。
でも、少なくともブログ界隈にはそんな存在は殆どいません。
その分を私の手によって補っているため、女性のみを憎んでるように見えるのでしょう。

女性に中絶させている最中に、他の女をナンパした男性について
糾弾している記事なども書いていますし、それらにも目を通していただきたいものです。

【2007/02/20 00:44】 URL | 覚悟 #o25/X8aE[ 編集]

各部。

では、なぜ私は文面上、特に女性を忌み嫌っているのか?
それは「中絶議論事件」の時もそうですし、
喪男道に於いてもそうですが、身勝手な中絶は男女同罪という
考え方に共感してくれたのは、圧倒的に男性が多かったからです。

そりゃそうですよ。男は妊娠しないのですから。妊娠には関わりますが、当事者性は女に比べて、ずっと軽いものです。子供の命を大事に考え、どんな経緯であれ身ごもった子供を産んで育てるというのは「正しい」ことだと思います。その「正しさ」に異議を唱えるつもりはありませんが、「正しさ」を実現するのは、ものすごいしんどいです。ただし実現する人にとってはの話で、外野にとって労はほとんど要りません。「正しい」ことをしろと、安全で楽な場所から好きに言えます。当人じゃないから、遠くからはやし立てるだけだから、男の側は正義に浮かれていられるのです。

また、女性は往々にして「同性を庇う、同性を責めない」傾向があります。
男性の場合は、同性に対してもかなり厳しいのですがね。

本気ですか? どっちもどっちですよ。レイプ事件の裁判において、被害者がつらい目にあうのは、男同士のかばい合いによるものだっていう非難は、フェミニズムの本なんかで、よく目にするものです。フェミニズムをある程度までしか受け入れる気がない僕でも*1、その主張は正しい。マザーテレサの話を引用したサイトに、次のような文章があります。[性行為の描写とその性格]。ここに書かれているような、うちら男の身びいきや身勝手な振る舞いは絵空事だとでもいうのでしょうか? どこがうちら男が同性に対してきびしいんでしょうか?
僕は身びいきをしない人とする人とだったら、する人を良しとしますし、自分も色々と勝手なことをする人間で、正しくないものを多く受け入れて、のほほんと暮らしており、それを強く恥じてもいません。ただ、間違っているものを正しいと言い張ることだけはしないでおきたいとは思ったりします。

女性が、女性自身の手で苛烈に「身勝手な同性」を責めてくれれば、
何も私がいきり立って非難する必要は無いのです。
でも、少なくともブログ界隈にはそんな存在は殆どいません。
その分を私の手によって補っているため、女性のみを憎んでるように見えるのでしょう。

別に身勝手だと責められるような話じゃないから、責めていないだけでしょう。

女性に中絶させている最中に、他の女をナンパした男性について
糾弾している記事なども書いていますし、それらにも目を通していただきたいものです。

そういう記事があるからといって男女を同等に糾弾していることにはなりません。

*1:あほげた話もけっこうありますし、上のblog主さん(覚悟さん)の女版みたいな人もいますしね……。