西原克成『追いつめられた進化論』(投了……)

図書館で見つけた本。
序文から別の意味で素敵な文章が踊り、序文半ばでうんざりしました。序文以外は興味を惹かれる部分を拾い読みしましたが、キリスト教的なものへの嫌悪や、ダーウィンの進化論の歪んだ解釈が延々と書きつづられていまして、とても全部読み切る気力はわきません。序文と、きちんと読んだ第4章の一節「こころは、脳にはない」に対して少し感想を書いてみます。


序文。

 ダーウィンの信奉者は、ヒトが地球上で最も「適者」だと思っている。適者生存の思想など妄想にすぎないことが解らない。聖職者であるダーウィンの信奉した自然神学(自然実験)とは、キリスト教の神という文字を自然という言葉に置き替えただけのもので、西欧の一九世紀のサイエンスの博物学のコモンセンスがこれだった。誰が適者か不適者かを決めるのかといえば、神様がこれを決めるということである。しかし本当に神様が決めるのならいいが、神のような西欧人が、人類を代表して決めたりした。
p6

ダーウィンは牧師になる勉強をし、その資格をとるにはとったけれども、数々の不幸を味わい*1信仰を失った人のはずですが、どうして聖職者と言われるのやら……。また、適者不適者を神様が決めるなんて誰が言ったのでしょうか。


「こころは、脳にはない」

 今日「こころ」が脳に存在すると考えている学者が多いが、洋の東西を問わず、大脳辺縁系思考で「こころ」は心臓や腹にあるとされていた。キリスト教世界では、外から心臓に「こころ」が霊魂として入ってくるといって、脳外科医で大脳生理学者ペンフィールド(脳を開頭して電極を人れて、電流を流して脳の機能を解明した人)でさえもサイエンスを放棄してしまっているが、その点わが日本には、幸いにもキリスト教の考えが根づかないから、冷静に「こころ」をサイエンスすることができる。
p189

『洋の東西を問わず、大脳辺縁系思考で「こころ」は心臓や腹にあるとされていた。』〜『冷静に「こころ」をサイエンスすることができる』。
いつの時代の話ですか?

 古代人は、大脳辺縁系(内臓脳)思考で、漢字を作ったりことばやことわざを作っている。そこには、ヒトの浅知恵つまり浅薄な大脳皮質の思考をはるかに越える真実が存在することが多い。サイエンスの名のもとに、これらの先哲の知恵をないがしろにしてはならない。
p189

先哲の言葉を尊重するのと、鵜呑みにするのは違うと思うのですが……。

 日本にはハラサキ(切腹)という自殺の手法かおる。これは誇り高い武人が自己実現に失敗した時の身の処し方の作法である。腸管内臓系の腹に自己の本態があり、すべての欲が生命の根源の腸から発することを知っていたからである。
p189

……。

 今日、脳がすべてとする唯脳論が語られ、心も精神も魂もすべては脳にあり、脳幹が働かなくなったら生命は死んだも同然とする考えがある。ひとの世がすべて脳とその機能で解決できるなら、ソビエトは崩壊しないはずであるし、法治国はすべてこともなく治まるはずである。腸は法律で律することはできないのである。
p189-190

共産主義失敗の原因や、法治国家が乱れる原因は「法律で律することができない」腸に心があるから……だそうです。頭がくらくらしてきました。


ざっと見ただけでも素晴らしい珍説奇説がてんこ盛りです。トンデモ本を読むのが好きな方にはおすすめします。もしくは時間がたっぷりあって、突っ込みを入れながら読んでみたい方にもいいかもしれません。それ以外の方はやめておいた方が良いと思います。

追いつめられた進化論―実験進化学の最前線

追いつめられた進化論―実験進化学の最前線

修正2009/12/13

題を著者名を入れるなど修正した。
同じ著者の無茶な本を見かけたときに、昔、この人の本をちょっとだけ読んで、突っ込みを入れたことあったな〜と思って検索したんだけど、出てこなかった。自分で検索するのに便利なように修正した。

*1:母、親友、娘を失っています。