ジェンダー論の歪み

平等が危ない: 吉澤夏子
ジェンダーフリー推進派の方のコラム。
単純に人間を男と女でわけるやり方はどうもなあと思いますし、異性愛のみが正しいとするような考えも好きじゃありません。DVや幼児虐待を未然に防ぐという目的は真っ当ですし、多くの点については賛同もします。
コラムに書かれている「女はもともと、生まれつき、元来――つまり本質的に――感情的だから、選挙権なんて与えられない」とか、他に「男は働いて金を稼いでくるから、女は子供の面倒を見てろ」といった言葉に対しては、そりゃ男に都合が良いように、女に力を与えないようにしたり、面倒を押しつけたりしているだけだろと僕も思います。ジェンダーには女を押さえつける枠組みといった面もあると思いますから、そういったものから女性を解放しようという運動に異を唱えはしません。ただ……ジェンダーという言葉を声高に叫ぶ人たちは、それだけではとまりません。

そして90年代以降、ジェンダー論の最先端の議論では「ジェンダーがセックスに先行する」と考えるようになった。ジェンダーは、セックスをも包摂する、そのもっとも深い水準において規範である、ということが明らかになったのである。

男の子が車のおもちゃなどを欲しがり、女の子が人形などを欲しがるのは、親や社会がそれを好むようにし向けるからだと言う人たちがいますが、上のような考え方からでしょう。自分が知る範囲*1では、子供が車のおもちゃを欲しがるから、親は買い与えます。子供の好みは「原因」であって「結果」ではありません。親が他のものを好むようにし向けようとしたとして、それが子供の好みのつぼにはまれば受け入れて興味の幅が広がるでしょうが、好みにあわないものには、まず見向きもしないでしょう。もちろん、色々な状況があるわけですから、好きじゃないものもものによっては受け入れる。行儀とかそういうかたっくるしいことは、きちんとやらないと叱られる。自分で好んで選び取るものと、好きじゃないけれど受け入れておくかというもの。その違いをわけて考えているように見えません。肉体的性差(性器ではなく脳構造の違いから生まれるもの)に端を発すると考えられるものを極力無視しようとします。なんとも無茶苦茶な説で現実から大きく離れているように見えます。結局のところはマルクスあたりの人間観*2の焼き直しにすぎず、また、この手の生物、動物としての人間を無視した考えには、人間は他の動物とは違う優れた存在であるという奢りが透けて見えます。

ジェンダーフリーバッシングは、性差の構築主義的解釈の「行き過ぎ」に対して、ストレートに、きわめて素朴なかたちで「身体」を取り戻そうとする試み――かなり乱暴で強引なやり方ではあるが――だと理解することもできる。

自分たちの考えがどう見られているかというのは少しは考えておられるようですが……。自分の支持する論が乱暴だとは考えておられないご様子。

しかし、もしこの社会に「男は強くなければならない」という男らしさについての規範があり、ある男性が妻を殴るという行為によって、つまり腕力の優位を誇示することによって、自分が「男」であることを確認できるとすれば、彼にとって妻を殴ることは、自分が生きていくためにどうしても必要な行為ということになる。だとすれば、ドメスティック・バイオレンスは、規範を生産・再生産する社会構造の問題、あくまで「社会的」な問題だということになる。フェミニズムは、こうして「個人的なこと」の内部に潜む差別の関係を明るみに出し、その不正を社会的(政治的)に告発する道を開いたのである。

こういった話をジェンダーを通してしか語れないのが、どうにも。また、強引な仮定から論を導き出すのも、どうかと。
力を誇示するのが男らしさだと勘違いしている男は多くいるでしょうが、女、そして子供などの弱者を殴る男は批難されもします。「男のくせに女子供に手をあげるのか?」という言葉は未だ死んでいるようには見えません*3。勘違いした男が自分が男であることを確認するためという説もある程度は真実だと思いますが、それ以上に自分の不満や鬱屈を自分より弱い者に向けているのだと思います。苛々からわが子を虐待する母親もいます。

しかし逆にいえば、フェミニズムにとって自らの論理と戦略を問い直し、改めてその意義と重要性を広く訴える絶好の機会にもなりうるのである。

人間をファンタジーの世界の住人としてじゃなく、一個の動物種としてとらえて論理を構築し直してくれないものかと思います。
性に関しては、他人の権利を侵害したり公共の福祉に反しない限り、それぞれの人にとって楽な形で性を面に出せばいいと考えていますが、その考えが狂信的な色合いを帯びた空理空論で支えられるなら、後で起きる問題のが大きいんじゃないかと考えますので支持しません。たとえ、不自由な世の中になって僕の好きなもの*4が全て無くなってしまうことになるとしても*5




……あまりうまくまとまりません。
(追記、20050508)
うまくまとまらないどころか、車のおもちゃやら人形やらのあたりは何が言いたいかさっぱりな気が自分でもします……。まあ、このままおいときます。次にこういうの書くときには、ましになっているといいなあ……。

*1:自分の周囲の子供を見たり、子育ての話を聞いた印象など。

*2:「人間の本性は、社会によって決まる」。社会が変われば人の振る舞いは変わりますが、人そのものは変わりません。ばかばかしい話です。

*3:フェミニズムの人には嫌われる言葉かも知れませんが、こと暴力の分野に関しては、死んではいけない言葉だと思います。もちろん強い女性(格闘家とか)に貧弱な男性が喧嘩を売るなんて場合には、こういう言葉を当てはめようとは思いません。ほっといても返り討ちにあうでしょうから。

*4:ぶっちゃけエログッズです。とくにオタク系の。

*5:エロゲーとか規制しようとしているファナティックな人たち消えてくれとか、たまーに思うわけですけれども、規制反対派もファナティックで……。ジェンダーフリー推進派と慎重派(純潔教育とか言ってる人もいて相当に気色悪い)が、それぞれ向きは違えど同じようにファナティックなように……。