対比しても無意味

[間歇日記] 2004年8月14日
(色々調べていて見つけたもの。ちと昔のものです)
量的なものについて考えるのが僕ら日本人は苦手だと言うのを最近何かで読みましたが、上の「血液型」と「性別」とを対比させるのなんか、その最たるものじゃないかなと。
性別という大きな違い、血液型という小さな違い、性別は動物が生きる上での戦略に大きな影響を与えますが、血液型は、鎌状赤血球貧血症とマラリアの関係なんかもありますから影響がないとは思いませんが、小さな影響にとどまります*1。ともに生物学的な差違という点では同じですが、量的には大きく違います。量の違いは、それぞれの事柄に関わる「問題の質」の違いを生じさせます。性別の場合は、性差が人の性格にどれだけの影響を及ぼすのかを慎重に検討しなければならないでしょうが、血液型は、まず血液型が人の性格の何に影響するかを特定するところから始める必要があると思います。性別と血液型の問題の質は全くの別物です。何かを対比させてものを論じるなら、質的量的に対比させて意味のあるものをもってこないと説得力はありません。生物学的な差違で、性別と同じぐらい人の生存や繁殖戦略に影響をあたえるものをもってくるべきです*2


なお、都教委のやりようは推進派と反対派の権力争いに過ぎないから馬鹿げたことをやってるんじゃないかなと*3。また権力争いだけじゃなく、ジェンダーフリー推進派の声の大きい人たちの中の、さらにその一部と思われる人たちにみられる異常さが、反対派の異常さを引き出しているとも思います。ファナティックなジェンダーフリー論者の中には、極度に社会構築主義的な言葉(マルクス主義の人間観の焼き直しに見える)を吐く人がいて、共産主義とかマルクス主義とか大嫌いな人たちの反感を買っているのだと思います。

*1:この辺、あとで正しい検証を重ねた上で打ち立てられた、血液型が人の性格に大きく影響を与えるという妥当そうな説が出てきたら撤回します。出てくるとはあまり思えませんが、まあ、人間という動物は複雑ですから……。

*2:民族や人種の違いですら、性別の違いよりは差が小さいと僕は思います。まあ、民族や人種間に見られる違いは生物学的な差よりも、まず文化的な違いからくるものですしね。

*3:去年の話なのに今もちっとも様子がかわっていないのが笑え……ませんね。