賞味期限切れの処世術

今、敗者の側では敗北の直接の体験者の影響力が少なくなったことで、これまでの処世術に違和感を感じるようになってきた。ずいぶん昔の、自分がやったわけでもない戦争で、ごちゃごちゃ言われるのはどうにもむかつくと、そういう気分になってきた。また、勝者の側も直接勝利を体験した人の影響力が少なくなったことで、勝者として強く振る舞いにくくもなった。ある程度は強く出るでしょうが、自分がやった事じゃありませんから体験というぶっとい根っこはありません。どうやっても薄っぺらくなります。そんなこんなで、現在、日本に蔓延する「平和論」は処世術として、とうに賞味期限が切れています。けれども、人はそうそう生き方を変えられません。自分たちの生き方を守るために、革新のはずの人たちが過去の処世術を守ろうとし、保守のはずの人たち(自分もこちらがわ)が革めようとする。なんともねじくれていて、おもしろいというか、僕ら人間は色々とやっかいなものを抱える生き物だなというか。