おたくの恰好付け。『「戦時下」のおたく』(途中)

おたく趣味は恥ずかしい。そんなもの卒業しろよと多くの人から責められる。自分の趣味を、そして自分自身を守るため、おたくは知恵を身につける。言葉の操り方を身につける。格好の付け方を身につける。自己弁護のやり方を学ぶ。
いえ、おたくに限らず、なにがしか忌まれるものに打ち込むならば、人は自己弁護のやり方の一つ二つは身につけるものです。そうでなければあきらめるか。
自己弁護は、ときに、いいようのない気持ち悪いものとなります。己の欲を美辞麗句で飾ることすらあるのですから、当然といえば当然です。

僕自身も、己のおたく趣味を飾り、気持ちの悪い自己弁護を、ときおりやってしまいます。かつてやった自己弁護の数々。細かいことは覚えていませんが、そのときの気分を再々思い出しては、あまりの恥ずかしさにのたうちます。当時は恥ずかしいと思わなかったことも、今は恥ずかしいものがいくらでもあります。忘れてしまいたいですが、忘れると、また、やってしまいそうですから(忘れずともやってしまうのに、忘れたら、なお……。昔の日記を読んでも、結構恥ずかしいものが……)。

「美少女」というイメージやそれを生み出した男性の八〇年代のロリコンブームも、そのような側面を持っていた。それは、単に「低年齢の女性」が求められたということではない。むしろ、大人の女性の典型的フォルムが自動的に発する既存のセクシュアリティの文脈(スケペオヤジ的お約束ごとの世界)からの逃走という役割を持っており、その手段として取られたのが、ロリコンという身振りによってシャレと本気の間の往復運動をしてみせることだった。

ササキバラ・ゴウ, 「おたくのロマンティシズムと転向」(『「戦時下」のおたく』収録), p30.

ロリコンは、単に成熟した女性の色香(=男に対する強い影響力)や、自分と同等の相手とのやりとりを煩わしく思う心理が、コントロールしやすい幼女に向かったというだけのことでしょうに。
肉体的には成熟していても顔は幼かったり、頭が弱かったりと、関係を迫ってもすぐに受け入れてくれそうなのが、僕らおたくに人気がある女性キャラです(当然全てではありませんが、かなりのものを占めるように感じます)。幼女を求める心性は、逃避やらなにやらといったものではなく、海外で子供を買う不道徳なおっさんらとなんらかわりません。身も蓋もない物言いですが。ただ、実際に子供を買う連中と違うのは、妄想だけで処理しておけば、傷つく人はいないということです(気持ち悪いと思う人はいるでしょうが、それぐらいは許せよ、了見の狭い連中だってところです)。殺人だろうとなんだろうと妄想ならば許されます。まあ、それはさておき、ロリコンというのは、どうしようもない嗜好です。実際に手を出すと、まず犯罪です。それだけに恥ずかしさや不道徳を脱色する必要が、欲を言葉で飾る必要があるのかもしれませ。しれませんが……。こういう恰好付けを目にすると、なんとも気持ち悪いです。
人間、本音だけでいきるとギスギスしますから、恰好付けやたてまえもいくらかは必要だとは思います。上のような物言いも必要なのかもしれません。けれども……、気持ち悪いという思いは消えません。ああ、おれも忌々しい正義漢だなとおもったりしますが……。そんなことは今はおいといて、本著は、おおっとうなる部分もあれば、上のような恰好付けもあります。面白かったり、気持ち悪かったり、自分にとっては、実に複雑な本です。ただ、ものを考える材料になるから、それでいいかなというところです。


付け足して多くと、わたしゃ恥ずかしいものを美辞麗句で飾るなといっているだけで、恥ずかしいことを好きな人がいても、それが人に迷惑かけないならそれでいいじゃんと思っています。妄想は罪じゃありません。自分自身、誰にも言わず墓の中まで持って行こうと思っているものもいくつかありますから……。

「戦時下」のおたく

「戦時下」のおたく