戦後の嘘

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被害者である自分を言いつのったり、加害者であることを必要以上に(もしくは捏造してでも)喧伝して反省してみせるってのが、今に続く、わが国敗戦後の処世術なのでしょうが、もうとっとと賞味期限切れになって欲しいものです。
また、上の話を見て思い出したのは野坂昭如さんの話です。

「大波小波」

 初期の野坂昭如は、神戸大空襲で家族をなくして戦災孤児になったと自筆年譜に書き、小説やエッセーでそれを売り物にした。が、実は義母はずっと生きていたと後に告白し、ためらいがちに修正を始めた。
 その野坂の虚偽をいち早く指摘したのが清水節治「戦災孤児の神話」だった。清水は義母の没年の他、戦災時の疎開の事情や少年院入所の真相も不透明だと指摘した。これらに答えるように野坂は引き続き自伝的小説を書き続けている。その近年の経緯を検証した清水の論文が面白い(法大国文学会「日本文学誌要」65号)。
 語り難い事情や秘匿した事実へのこだわりが強く、語り尽くしたと思わせながらまた新たな事実を加えて物語るのが野坂の方法だと言う。その背景には、育ての親を戦災死扱いした後ろめたさと、売りものの「戦災孤児」のイメージが崩れることへの恐れがずっとあった。
 本物の極道作家なら、虚偽の一つや二つが何だと居直るところだろう。しかし戦後の民主主義社会では無頼にも限度がある。自らによる「神話」の解体はその点誠実ではあろう。ただ、これを作家として長く書き続ける戦略と見たらどうか。野坂は二枚腰三枚腰の新タイプの私小説作家になるではないか。

東京新聞夕刊 大波小波 2002年(平成14年)4月18日

野坂昭如と自伝小説

色々ありますねえ。
なお、野坂昭如さんが大嘘こいて自分の売りにしていたとしても、作品そのものが損なわれるとは考えません*1。作品と作者の人格は別物です。「功を愛して人を愛さず」です。

*1:損なわれるものも一部にはあるでしょうが。