障碍と障害

戦後の漢字制限の弊害、そして障碍という言葉のトンデモな解釈のされ方。
[障害 伝統的には「障礙」「障碍」と書くのが正しい]

 さてそもそも、「障害」という言葉は、かつては「障礙」とか「障碍」と書いていた。しかし戦後の漢字制限で「礙」「碍」の漢字が表外漢字になってしまったため、「害」という漢字を宛てて「障害」と書くことが広まったのである。
 “「害」という漢字は障害者が他の人に何か害を与えるみたいで不穏当だ”と主張する人が一部にいるが、それは戦後の国語審議会や「障害」の宛字を発明した人に文句を言って欲しい。
 電柱の「碍子(がいし)」(陶製の電気絶縁物)という語から見てわかるように、元々の字である「礙」も「碍」も「妨げる」という意味である。「害」と違って、誰かを傷つける、害するという意味はない。

「害」の字を使っちゃだめだからといった考えで「障がい」と「がい」の部分をひらがなにしていることがあったりしますが、そういうばかばかしいことをする暇があったら、きちんとした漢字を使えとか思います。変えなくてもいいような文字や言葉を自主規制して言葉に敏感なふりをしているくせに、本来の漢字を使おうとはしないのはどういうことなのだとか思います。官公庁とかマスコミとかなら、常用漢字のしばりを気にせんとあかんかなとも思うので、まだ、わかるんですけれども、その手のしばりを考えなくていいような本で「障がい」なんて書くなよと思います。