正義乞食

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20060617/p3 にて知った掲示板投稿のお話。
スレッドのトップは[ジャワ島地震への自衛隊派遣に反対!]

ざっと、スレッドを読んでみましたが、すごい……です、この右翼討伐人って人、書き込み全部ネタじゃないのかと思ってしまうぐらいすごいです。
上の掲示板の投稿に限らず、自分がやってもいないことで、一所懸命、謝罪しようと、償おうとする人がいますが……。
人に謝るのはなかなかに大変です。自分が悪くてもね。自分でやったことですら謝らない人がいる。きちんと謝る人は正しい人です。ならば、自分がやっていないことで謝れるのは、もっと正しい人なのかも。そう多くの人が思っても不思議じゃありません。が、でっかい勘違いです。
自分が直接関わりないことで謝って損する事ってありますか?
ほとんどありませんよね。
だから、謝れるんです。自分は損をしない。それどころかいい人だと思ってもらえるかもしれない。わずかな言葉で「正しさ」を得られる。当事者でなければ謝罪には報酬があり得る。特に正義に飢えて飢えてしている人にはたまらない報酬が。
では、いざ自分が当事者になったら、同じように謝れるのか? どういう反応を示すのか?
その手の人がおのれのblogやら人の掲示板やらで馬鹿を言って手痛い批判を食らったときの態度からある程度読み取れます。まっとうな人もいるにはいるけれども、ひどい人は多くって、自分が間違っていても詭弁を弄して逃げたり、批判した人を口汚く罵ったり……。自分が当事者になったとたんに、やっきになって、できるだけ損をしないよう、しないよう、力を尽くしてくれます。正義を声高に唱えておきながら、その様(ざま)はなんだよと、言いたくなる。
そんな人が「僕たちの国は過去に悪いことをやったのだ。反省しなければならない」なんて言ったとして、どれほどの説得力がありますことやら。
おのれが当事者じゃない話で謝ってみせる、ただ「正しさ」が欲しいだけの正義乞食、どうしようもなくさもしいです。

以下、さらにだらだらと。
ほんと、誰かが助かるなら、自衛隊でもなんでも使えばいいじゃんと思うんですけれどもね……。昔、http://d.hatena.ne.jp/hoshimin/20050111#1105451312 で取り上げたネタを思い出しましたが、くだらないイデオロギーにかぶれて、自衛隊にけちを付けるの大好きな人っていますね。あの手の人助けという大義名分を掲げながら、ちっとも人助けにならないことばかりいう人たちを見てると、兵藤和尊の言葉を思い出します。

言うまでもなくこの地上には
苦しみのたうつ怨嗟の声に溢れておる
十人百人の呻きが・・・・・・
一人の豊かな生活を支え・・・
一人の豊かさがその十人・百人の希望だ・・・・・・・・・
それがこの世の仕組み・・・・・・
わしはその冷酷必然を認め
常に自分に言い聞かせておる
ところが・・・・・・・・・
世の中にはそれではいかん助けなければなどと・・・
言い出す輩もおって・・・
わしは実に・・・
こういう連中が嫌いでの・・・
もし本気でそう思っておるのなら
さっさと金を送ればいいのだ
グズグズ言わずに・・・・・・
ピシピシ送るべしっ・・・・・・!
が・・・・・・・・・
なぜか奴らはそれをせんのだ
そっちに話が及ぶと
突然ほおっかむり
曖昧な逃げ口上に徹する
わしは・・・・・・
そういうクズにならぬようにも戒めておる
つまり・・・・・・
わしは生涯人を助けぬ・・・・・・と
福本伸行賭博黙示録カイジ』兵藤和尊の台詞より

(ネットで検索して兵藤の言葉を引用している人の日記からコピー&ペーストさせていただきました。http://d.hatena.ne.jp/ajiyoshi/20050905/p2。)

兵藤の言葉は人を救わない自分を正当化するための理論武装にすぎないとも言えますし、かなりの極論でもありますが、世間のありようの嫌な面の一部を言い表しているとも思います。兵藤の言葉にひるまずにすむ人はどれだけいるでしょうか? 僕は、ひるんでしまいます。ただ、ひるむことすらしない(できない)、兵藤が何を言っているか理解できない、本当に救いがたい人もいるんじゃないかとね、思ったりしちゃうんですよ。上みたいなの見ていると。