憲法の中の理想

第9条は現実に合わないと言うけれども、第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」なども現実にはそうなっていない、現実と違うなら変えるのか? そうじゃない、憲法は理想を書くものだ。
そんな感じの話を最近見かけます。9条は現実的じゃないとかそういうのへの反論でしょうかね。この前読んだ『9条どうでしょう』にもそんなことが書いてありました。
理想を書く。それは確かにそうだよなと僕も思います。ただ、「戦争」という他人(他国)が関わってくるものと、おおむね自国だけの事情で閉じているものとをいっしょくたにしてどうすんのぉとも思います。
ものごとを0からはじめて、完全な達成状態を100と書くとします。第25条やらは自国の努力だけで、100には、まあ、ならないとはしても、100に近づけようと努力することはできます。戦争がらみは、そんなの無理無理って話です。例えば、自分だけ武器捨てたって、他人が捨てなきゃ意味がない。はっきり言って、問題の性質の違いをガン無視して論じる、単なる詭弁、レトリックのたぐいです。まあ、無理目な持論を通そうと、レトリック駆使して言っているのだとは思います。レトリックの使い方としても正しいと思いますし。
ちなみに、腹のなかで何を考えているにしても、建前として、平和を語っておくのは大切だと思いますから、9条を全部否定する気はありません。あれを本気にする人には勘弁してよと思いたいですけれども。憲法を書き換えるにしても、自衛隊をきちんと国軍として認める程度にとどめて、あんまりいじんないで欲しいところです。まあ、たとえば「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、」を両性(男女)でなくてもオッケーよぐらい変えるのは、昨今の現実に即していて良いかもしれませんが。