差異化のゲーム?

http://d.hatena.ne.jp/demian/20061227/p2

ところで、ロマンティック・ラブ・イデオロギーなんてものにみんなで付き従う必要なんてあるんですか?モテなきゃいけないなんて一体誰が決めたんですか?別にモテようがモテまいがいいじゃないかと。あいつはモテないとか言って他人を指差して差異化のゲームに戯れるような人間の浅ましさをはっきり指摘してやればいいのではないでしょうか。別にそこまでしなくても、「あーそうですか、そういうのもありますね」といった感じでさらっと流してしまってはどうかと。たまたま多数の人が持ち上げている戯れの仕方を絶対視してしまうから苦しむことになるのです。たまたまコミュニケーションのスタイルが合う人と出会えて、いい交流ができればそれは幸せなことですし、出会えなくてもあなたはあなたで、それはかけがえのないことなんです。

差異化ゲームというのは、「モテるやつがすごい、そうじゃないやつはだめ、だからモテたい。モテて他人に差をつけたい。」とか、そういう心理をさしていうものなのでしょうか? また、「たまたま多数の人が持ち上げている戯れの仕方」とありますから、世の中でそういうのがたまたま主流だから、やめようと思えば止められるとか、そういう話でしょうか?
そうであるなら、僕は上のような考えは誰の救いにもならないと思います。話を異性愛男性に限ります(上で扱われているのもその辺だけだと思いますし)が、お姉ちゃんといちゃこらしたいという欲求が、そもそもの原因だと思います。それは周囲の誰かに押しつけられたものではなく、生き物として生まれつき持っているものです。お姉ちゃんといちゃこらしたいという欲求をもつ人にとって、女性とのつきあいは価値あるものです。そして、自分が欲するものを持っている人を、持っていない人はうらやみます。ねたみます。また持っている人は、持っていない人に自慢したり、持っていない人、つまりは手に入れる能力がない人を見下したりするでしょう。ここで、女性に対する欲求を持たない人であれば、もてようがもてまいが気にしません。自分が価値を認めないものを他人が持っていたところで気になりませんし、もてたところで、うっとうしいとすら思うかもしれません。そういう人なら、ほんとうに「あーそうですか、そういうのもありますね」といっておしまいです。けれども、女性とのつきあいに価値があるとする人間には、なかなかできるものじゃないと思います。他人との差異化という一面が全くないとは僕も思いませんが、女性とつきあいたいという強い欲求が満たされないことに苦しんでいるわけで、差異化のゲーム云々といった言葉は何の慰めにもならないのではないかと思います。そういう言葉よりも安全な性欲除去手術が確立されるとか、性欲を極端に減衰させる薬が発明されるとか、そういうものの方が、よほど多くの人を救うんじゃないでしょうか。性欲がなくなれば、女性にもてようがもてまいがどうでもよくなって女性がらみでは心穏やかにいられると思います。まあ、なんで女に興味ないの?おかしいんじゃないの?と言われるうっとうしさが生じるかもしれませんが、お姉ちゃんとつきあえないことでの苦しみはなくなることでしょう。

それから恋愛は素晴らしい!といったようなメッセージを発するメディアに浸りすぎるのも良くないように思います。恋愛を扱ったドラマやアニメやゲームにはまりすぎてネタをベタと受け取らないようにしましょうね♪また恋愛対象となる登場人物を人格を持った存在ではなく、まるでモノのように扱っているゲームなどをベタに受け止めていたりするとなんだかあぶなっかしい気もします。もちろんネタとして受け止めて距離を置いているのならいいんですけれども。

この辺は同意です。女性とつきあいたいという欲求が苦しみの原因で、恋愛賛歌は、その欲求を強く煽るものだと思いますから。「また恋愛対象となる登場人物を人格を持った存在ではなく、まるでモノのように扱っているゲームなど」なんかは、きっついエロゲーなんかのことかいなと思うんですが、まあ、絵空事絵空事として楽しまないとやばいことになりますものね……。ゲームとかじゃありませんが、世の中、マジシャンを本物の超人だと思いこんで殴り、結果として殺しちゃった人もいますし*1

*1:ハリー・フーディーニとジョスリン・ゴードン・ホワイトヘッドの話。