一属性ですべてをくくるのは無理でしょ

[喜八ログ: すべての人間は、マイノリティである]

「すべての人間は、マイノリティ(少数派)である」のだから、「マイノリティ=劣った存在」とか「マイノリティ=差別してもよい存在」なんて理屈は通らないでしょうね。もし、そういう理屈を認めてしまったら、すべての人間は「劣った存在」であり「差別してもよい存在」ということになってしまいます。これは自分自身の首を締めることにほかなりません。

「マイノリティ=劣った存在」とか「マイノリティ=差別してもよい存在」とかは馬鹿馬鹿しい話で、単に多数派が自分が慣れてないモノとふれあいたくないってだけだよなと思うわけなんですが、『「すべての人間は、マイノリティ(少数派)である」のだから、「マイノリティ=劣った存在」とか「マイノリティ=差別してもよい存在」なんて理屈は通らないでしょうね。』という理屈も通るとは思えません。
男とはこういうものだ。
男ならかくあるべき。
女とはこういうものだ。
女ならかくあるべき。
そんな言葉があります。けれども、男、女、ともに色々あります。ひとくくりにはできません。それと同じでマイノリティとて色々じゃありませんか。たとえばですね、政治家や金持ちみたいな多くのリソースを握っている人たち、彼/彼女らもマイノリティなわけです。虐げられるマイノリティには誰しもなりたくないでしょうが、力あるマイノリティなら、なれたら嬉しい人は大勢いるでしょう。僕だってなれたら嬉しい。マイノリティといっても、なにもかもひとくくりになんてできません。
上の記事って、ある特徴ですべてをひとくくりにしようっていう乱暴な話のバリエーションに過ぎません。しかも、その特徴自体が「考え方を変えれば人は誰しもマイノリティ」といった、そりゃまあそうだけど、そんな話にどれだけ意味があるの?という、結構、むりくりなものです。
『デモクラシーの冒険』は僕も読みましたが、テッサ・モーリス-スズキさんの「すべての人間は、外国人である」という言葉にしても「考え方としては面白いですね」ぐらいで、真に受けても仕方がないものだと思います。外国人だって色々ですよ。宗主国の人間が植民地に行ったら、外国人であることが嬉しいのじゃありませんか? 今は、はっきりした植民地はないかもしれませんが、明確な形で現れないだけで、優位な国、劣位の国というのはあるわけですし。
誰しも弱い立場に追いやられることはありえるのだから、強い立場に安住せずに、弱い立場の人たちのことを考えられるようになろうよって話なんでしょうが、それを上のような形でやってしまったら、人をびっくりさせるにはいいと思いますが、あまり実《じつ》のあるものだと思えません。