ネタにマジレスなのかなあ……

不道徳でいびつなものに耽溺していると、ゆえに正義が欲しくなります。間違っている人ほど正義を主張します。子供を殺害した容疑で裁判にかけられた男が、有罪が確定するまで、自分の無罪を主張し続けたと言います*1。人は正しくないものに石をぶつけるのが大好きです。自分は正しい、間違っていないと主張しておかないと何をされるかわかりません。正しいと言い張ること自体は、やって当然の振る舞いです。でも、それを本当の正義だと勘違いするのは止めた方がいい。

[OTAKU Revolutionist ≫ Blog Archive ≫ 革命的非モテ同盟vs外山恒一さんのご報告]

最初は計画という女装美少年オンリーイベントに行ってきたんです。これも実は非常に革命的なモノなのです。なにせ「萌えられれば性別なんか関係ない」という地平を知らしめる恐ろしいイベントだからです。未だに世間ではセクシャルマイノリティへの差別が根強いわけですが、萌えオタという人種は萌えに忠実でさえあればそれだけでOKですから、下らない差別なんかやってる暇はないのですね。そこを頭だけじゃなく心で分かっているかどうかというのは、革命家としての条件の一つですから、まさにこの場に集まっているオタク達はみな革命家としての素質があるのだとボクは確信したのです。

女装美少年を愛好することは「萌えられれば性別なんか関係ない」というものでしょうか? 人間はものごとの判別に視覚にたよる動物で、そして、視覚は往々にしてごまかされます。いえ、視覚に限らず人間の感覚は結構いいかげんです。見た目やら振る舞いにごまかされ、セックスまでしながら、自分がつきあっている相手が男だと気づかなかった人もいます(その実話が元になった「Mバタフライ」という映画があるとか。)。異性愛者のままでも、別に男に萌えられるんですよね。相手が女だと勘違いできれば。女装美少年は体型からして女体型です。男性器がついているだけで、その造形は女です。完全に男性体型の女装少年って滅多に見かけません。少ない例外のひとつに漫画版『舞-乙HiME』のマシロくんがいますが、コーラルオトメの制服を着て、いちごパンツを披露したときは、女性体型で描かれていました(パンモロシーンだけ、男の腰回りじゃありませんでした)。女性と勘違いできる造形、そこが重要です。一応、男という設定は頭のなかにあっても、視覚からくる情報が勝ります。上の女装美少年オンリーイベントというのがどういうものか知りませんが、女性だと勘違いできるキャラが圧倒的多数を占めるのじゃないでしょうか? 女装美少年は、同じ男同士なら欲を理解してくれるだろう、みたいな思いこみから生まれるもの(女の偽物ですね)やら、かわいい、女みたいな男なら女性に近づきやすいかもしれないといった想いから生まれているとおぼしきものが多いように見えます(話が複雑になるので、ここでは先に述べた「女の偽物」のほうを考えます。どちらにしても異性愛男性の欲から生まれているものですが)。ほとんどの場合において、異性愛男性の欲望が、少々ひねりのきいたあらわれをしたに過ぎません。そのひねりのきいた欲望のあらわれ自体はおもしろいものですが、「萌えられれば性別なんか関係ない」なんてものではありません。
「萌えオタという人種は萌えに忠実でさえあればそれだけでOKですから」とあります。その萌えの対象には様々なヴァリエーションがありますが、元となっている欲望情念にはヴァリエーションはそれほどありません。少し前に、[掘り出しニュース:乗用車に尿かけて逮捕−事件:MSN毎日インタラクティブ]なんていう記事が出ました。これは性欲から生じた相手への関心が、ねじれにねじれて表れたものだと思われます。人間の知能は複雑で、様々なヴァリエーションの思考や行動を可能とします。性欲に端を発する行動のヴァリエーションも実に多彩です。枝葉の部分は多様で複雑、けれども根っこは単純です。そして、単純な、その根っこ、基本を外したものは受け入れられません。許容の幅はとても狭いです。根っこの部分で許容の幅が広いと思わされたことはありません。別に狭いことじたいは、それはそれで別にいいじゃんと思います。僕はその手のものを楽しんでいますし、他の人も楽しめばいい。ただ、上っ面の部分でヴァリエーションが多彩(ほんとうに多彩かどうかも疑わしいですが)だからといって、本質的に許容対象のヴァリエーションが多彩だなんて勘違いはやめたがいい。萌えオタは異性愛男性であることからはずれていません。その欲の表れ方においてマイノリティですが、マジョリティの一部としてのマイノリティです。あとでも書きますが、僕らが属する大集団とははずれた少数派集団、その一つであるセクシャルマイノリティへのあざけりのようなものを、萌えオタは多く持っています。マジョリティとしての立場に安住し、マイノリティを嗤っているのがうちらです。そのことをしたり顔でとがめる気はありませんし、自分自身そういうえぐいものを内包したモノを楽しんでいます。ただ、そのことに無自覚で、マイノリティを理解する気もないのに、上のようなことを言ってしまう人のはどうかと思います。かなり醜悪ですよ。「俺、ホモ嫌い。きもい」とストレートにいう人の方が、まだ、マシです。
よく苦しい経験、嫌な経験をした人は、他人の苦しみが理解できるようになるとか、そんなことを言いますが、あれはかなりの部分、嘘です。苦労によって、人は苦労に耐える力を手に入れるかもしれませんが、人格が磨かれるわけではありません。苦しい目にあっても、他人の苦しみに目などむけません。向ける人はいますが、そういう人は貴重です。どれほど他人が重い荷をかついでいても、自分の荷より、他人の荷は軽い。「自分の苦しみ>>(超えられない壁)>>他人の苦しみ」です。マイノリティであることで、苦しい目にあったとしても、他のマイノリティに優しい目を向けられる人は少ないように感じます*2。みな、自分の痛み苦しみでいっぱいいっぱいです。それはそれで仕方がないことですが。とまれ、われら萌えオタはマイノリティ(マイノリティというのも最近はおこがましい気もしますが……)なわけですが、他のマイノリティのことなど知らぬことです。セクシャルマイノリティに限って言えば、萌えオタ界隈のセクシャルマイノリティへの扱いって相当ひどいものですよ。さまざまな作品のなかでのセクシャルマイノリティの扱いひとつとっても、ね。「未だに世間ではセクシャルマイノリティへの差別が根強いわけですが、萌えオタという人種は萌えに忠実でさえあればそれだけでOKですから、下らない差別なんかやってる暇はないのですね。」とありますが、僕らが好む萌えの中には差別がもろに埋まっている感がバリバリしますけど? それに萌えの対象のキャラって、多くは相当ひどい人物造形です。頭のわるいキャラがてんこもり*3。他人の欲を見透かせるような、頭がいいキャラだと、自分なんかの相手してくれそうにありませんもの。萌えの対象はバカじゃないとダメなんです。こういう言い方はどうかと思いますけれども、搾取しやすいバカ(萌えキャラ)から搾取(その多くは性を)するのが、われら萌えオタです。そのこと自体は、別にかまやしません。僕は善人ぶるつもりはありませんし、いかれたもの、不道徳なものはおもしろかったりします。ただ、うちらは不道徳でいびつなものに耽溺しているのだって自覚は持った方がいいんじゃないのかなって思います。
同じ事を言葉をかえて、くどくど書きましたが、一言で一番いいたいことを言うと、俺らの恥ずかしい趣味を美々しく飾りたてんなってことです。よけい、恥ずかしい。

*1:山本夏彦さんの本で読んだ、ある裁判の話なんだけれども、詳細は忘れた。

*2:自分が苦しんだのとは別の点においては、みな無神経に他人の傷かきむしったりしますよ。自分もやってしまったことがあるし、他人がやるのを見たり、また、他人に傷かきむしられたりという経験もあります。もっとも、人の想像力、注意力には限りもありますし、しょうがないものだとも思いますが……。他人の気持ちをわかれよとは言いません。ただ、他人の気持ちがわかったような気持ちになるなとは言いたい。

*3:テストの成績がよかったり、すばらしい技能をもっていたりしても、知恵はなかったりします。