都合のいい技術批判

[A Tree at Ease もう原発はやめよう]

「長期停止中の火力発電所を動かすことによって、」「さらにごみ焼き発電がある。」なんてことを言ったあとに、

火をたいて、その熱で蒸気を作り、その蒸気の力を使う外燃機関は、21世紀の科学からすればアホ丸出しの技術であり、産業革命を最先端といっていた人間から何百年も進歩していない。原子力を推進したがる人の頭の中は原始力でいっぱいである。

という批判をするのはどういうことなんでしょうか? 火力発電所、ごみ焼却発電所、ともに熱でつくった蒸気の力を使う発電ですが? あるアイデアに立脚する技術を、その技術そのものではなく*1、立脚するアイデアゆえに時代遅れと言っておきながら、同じアイデアに立脚する技術を称揚するっていうのは、都合が良すぎる話です。こういうのもダブルスタンダード……でしょうか。

21世紀の科学からすればアホ丸出しの技術であり

えーと、今の世のなかにあるのは、昔生まれたアイデアを洗練していったものが大半じゃありませんか? 自転車なんかは、変速機構や素材は変わりましたが、その根っこは昔から変わっていないと思いますが? 上っ面の部分(火力発電、ごみ焼却発電、原子力発電)は変わっても、根本となるアイデア(熱でつくた蒸気で発電)って、そうころころ変わらないと思いますけど。

それでも「でも電力の3分の1が原子力なんだから止められないんじゃないの」という疑問もあるかもしれない。しかし簡単に止められる。明日全部の原発を止めてもわれわれは一切困らない。実は、この3分の1というのはわざとほかの発電所を止めて作り出した、いわば架空の数字だ。明日、簡単に原子力0にすることもできる。そしてわれわれは一切困らない。「原子力発電所を止めると、ろうそくの生活」という初歩的な脅しに乗る必要はない。

という批判は良いと思います。ここに関しては、そうなの? 暇なときに、ちょっと調べてみようかな、と思わされました。本当に原子力発電が必要かどうかを考えるきっかけになるものだと思います。
でも、とんちんかんでダブルスタンダードな技術批判は勘弁して欲しいところです。

*1:技術そのものが時代遅れかどうかを問うなら、別におかしな話だと思いません。