正しさの白の中にいる

「ぼく/わたしは正しい」だから「ぼく/わたしに従え」ってのは世の中にあふれています。戦時中の天皇陛下万歳、戦後の戦争反対ほか。お題目は自己の正しさを宣伝するためのもの。そして、実行するかどうかはまた別の話です。
世間に認められない人間は、正しさの証明を、より強く欲します。世間に正しくないとされた人間が、どう扱われるか、想像にかたくありません。己の扱われ方を、ちっとでもマシにするためには、世間にあるものよりも強い正しさ(正義)にすがらなければいけません*1。けれども、そういった「高邁」な正義を、「世俗」の人間は理解できないものです。自分が選んだ「正義」が理解されない。そこで、自分が選んだ「正義」や、自分の説明にも問題があるのじゃないかと考えられたらいいが、訴える相手というのは自分を認めない連中です。自分にとって理解したくない(自分のことを理解してくれないのに、なんで自分が連中のことを理解しないといけないんだってのはよくあること)、自分にとって間違っている連中です。理解できないのは、自分が悪いのじゃなくて、相手が悪いのです。ぶっちゃけ、相手がバカだからなのです。バカは啓蒙してやらないといけないのです。
かくして、はぐれものの正義は果てなく先鋭化し、ますます、はぐれもの以外には理解できないものとなります。

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20070812/p3

幼女趣味の人が極度に「正義」によりそおうとし、先鋭化しているのを見ると、まあ、しゃあないのだろうなと思いますが……。

余談。この手の「正義」を見ると、
[「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言]
を思い出したりします。

*1:もちろん世間にある正しさにより強く沿おうとするって手もあるけれども〜。