無自覚な王の群れ

専制君主の時代、王が無茶をやったら、王を打ち倒すことで、世の中はまともになれた。今はわれらが王である(民主主義ってそういうことだわな)。今は王をすげ替えることはできない。山本夏彦さんは、そんなことを言っていた。僕ら個々人はちっぽけで、自分が王であるという建前を信じられない。けれども、塵も積もれば山となる。集まった力は大きい。無自覚な王が、欲のままに力をふるうのが今の世の中なんだろう。

[★J憲法&少年A★: グローバル商業主義]

要は、今のカジノ資本主義が壁にぶちあたらない限り、破滅に向かって一直線の地球環境破壊は止まらないだろう、ということと、地球環境問題の解決は、世界の経済的不平等の解決と密接につながっているということが言いたかったのだ。

こういうのをきちんと論じている本とか、ちょっと読んでみたいところ。僕は「地球環境問題の解決は、世界の経済的不平等の解決と密接につながっている」というのは信じられない(無関係とまでは思わないけれども)。世界の経済的不平等が解決したら、地球の環境(というか「我ら人間の生活環境」)問題は、相当やばいことになるんじゃないかと思うから。
たとえば本邦のそこそこのおうちの人間を考える。個々はちっぽけなものだけれども、集まればすさまじいものになる。その生活を支えるために消費されるものは膨大なもので、そのために環境はおかしくなっている。「世界の経済的不平等の解決」というのは、本邦の中流(この言葉も死にかかっているけれども、一応使っておく。)ぐらいに世界中のみんながなるということをいいたいのであって、世界中が貧乏人になることをいっているのじゃないだろう。世界中の人間が本邦中流家庭の生活を始めたらどうなるか? まあ、人間の生活環境はぼろぼろになること請け合いだ。それを環境をあまり破壊せずに支えられる技術革新でもあれば別だけど。自分としては、人間の生活環境ぼろぼろになっても、そこそこの暮らしができる人間が増える方がいいと思うけどね。苦しいだけの人生なんていやじゃん。まあ、最後はほんとに誰も住めない環境になって皆倒れ伏すことになるかもしらんが……。自分たちの問題が解決できなくなったときが滅びどきなんだろう。いやだけど……。いやだけど、しゃあないんだろう。
僕は人間の生活環境を脅かしているのは、僕らが抱える欲と、僕らが生み出した高度な道具だと考える。人間の欲は、たぶん、遠いご先祖様の時代、狩猟採集生活の時代から変わっていない。うまいものが食いたい、いい暮らしがしたい、そんなの。ただ、狩猟採集生活の昔とちがって、今の僕らが欲を実現するために使う道具はすさまじいしろものになった。たとえば車、ガソリン燃やして一日で何百キロも走れる道具って、僕らは慣れているからなんとも思わないけれども、相当無茶なしろものだ。世の中、よい面ばかりのものなんてなくて、悪い面ももっている。車という道具もそう。排ガス規制の基準がきつくなって、だいぶクリーンになったとはいえ、やはり排ガスはよろしくないもので、一台だけならともかく、そんなものが何百万台も走っている。まあ、空気が汚くなって当然といえる。ほかの道具にしても同じこと。力がなかったために、欲望丸出しでも、あまり無茶なことにならなかった大昔*1と違って、今は先進国の人間ならよほど貧乏じゃなければ、自分たちの生活環境をぼろぼろにすることができる。ちょっとずつの行為だけれども、つもれば山となる。つもらせることができるだけの人間がいる。環境をおかしくしているのは、僕らちっぽけな個人の営みだ。カジノ資本主義がいろいろ問題を引き起こしているだろうというのは否定しないけれども、それが行き詰まったところで、人の欲は変わらない。

とはいえ、アメリカ政府が民主党になっても、グローバル商業主義を積極的に推進する傾向は変わらない。だから自壊するしかないのだ。そして、次の<プレイヤー>は、違った種類の人々になると僕は期待している。そうでないと、本当に悲惨なことになる。そこは人類の叡智とでもいうものを信じたい。

違った種類の人間になるとは期待できない。間違ったプレイヤーを間違っていると断罪できない*2のが今の時代で、自壊したのでは単にやり方が間違っていたということにしかならない。それでは、やり方が違うだけの別のプレイヤーが出てくるにすぎない。世の中、なんも変わらない。そう思う。
あと、前の記事とにたことを、もう一度書く。
仮に、自壊すれば世の中がよくなるとしても、その仮定で塗炭の苦しみにあえぐことになる人が相当数出るだろうことは想像にかたくない。それは必要な犠牲なのかな? 産みの苦しみ? 小泉前首相の「痛みに耐えて」ってやつ? そういう考え、僕は嫌いじゃないし、ある程度までは支持するけど(自分は苦しみに喘ぐ人間になる可能性高いから、できるなら、そういう状況にはなってほしくないが……。)、上のblog主さんはどうなのかな。

(なんか、トラックバックうっても反映されないな。)

*1:昔は昔なりの無茶なことになっていたのだろうなという話は見かけるけれども、力の絶対値が違うので、今よりも、やはり規模は小さい。

*2:もっとも、間違っているとしても、プレイヤーを断罪するのには僕はあまり賛成できないけど。