無垢は無、無垢より見いだされるものも無

[ここがヘンだよ肉食大国ニッポン! : 語り継ぎたい言葉]

よくものを考えている子供だなと思うけど、このまんまじゃ、やはり危ういと思う。また、これを周囲の大人がどう受け取るかも。

2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、
私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。

「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、
食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、
すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

ストリートチルドレンに対しては、無垢な子供だね*1、と思う。そして無垢というのは価値がありません。このストリートチルドレンが、「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」なんてことを言うのは、「持たざるもの」だからです。持っていないから、与える=手放すことを知らないからです。自分で多くを手にしたときに、おなじことを言い、そして実践できるか疑問です。それができる人は少ないと僕は考えます。自分がもっている小さなものに固執する人は世間にあふれていて、そして僕自身その一人です。手にしたものを手放したがらない人が満ちあふれる世の中で、持たざる者がゆえの無欲に理想を見いだしてどうするのでしょうか? 「すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。」にすべての答えがあると思うんですけどね。
僕は、上のようなストリートチルドレンが、いろんなものを持ち、そして、手放したくないという欲をももてるように、協力するのは良いことだと思いますから、手助けしたい人はしてあげればいいとおもいますよ。
ただ、持たざる者の無欲を真に受けていると、持たざる者が独り立ちするのを助けた後、多くをもったかつての持たざる者が欲に駆られるのを見て、失望するんじゃないかと思います。協力者は、ひとりよがりに無垢の中に聖を見いだし、その失われたことに失望して、下らんことを言ったり、他人に絶望したりするんじゃないか、とね。上みたいな言葉を真に受けてるような人には、そんな身勝手さや危うさを感じてしまいます。こういう人助けは、助けた人が自分が嫌いなものになる可能性をも助けるってことだと思うんですが、そういうことを考えているのか疑問です。こういう人助けをする場合、「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」をもったまま多くを持って、自分も人を助けるようになる人が、百人に一人でも出たら大成功じゃないかと思ったりします。
とまれ、上の発言は、まだ、自分のなかのいやな部分に気づいてない(もしくは気づかずにすんでいる)子供の発言だから、まあ、いい。仕方がないことです。でも周囲の大人は、どう考えているのか、ちょっと知りたいですね。

*1:色々嫌な目にあって苦労しているでしょうが、多くを持ったことがないという点で、無垢です。