砂のうえ いかにはげめど 城建たず

ジェンダーで読む<韓流ブーム>−今なぜ「冬のソナタ」か
先月26日に、色んな意味で、面白そうな催しがあったようです。
韓流は単にマスコミが騒いでいるだけで「冬のソナタ」など一部の例外を除いてほとんど話題になりません。実際、人と話をしていても裴勇俊(ぺ・よんじゅん/はい・ゆうしゅん)さんは大概の人が知っていますが、彼以外の韓国の俳優さん女優さんの名前が出てくることはまれです。たぶん、「冬のソナタ」を観ていない*1僕の方がまだ多くの韓国の俳優の名前を知ってるんじゃないかと思います。
絵空事の韓流を解き明かして(解き明かしたつもりになって)、何か語ってみても無意味です。虚構の上に論は築けません*2。肉体の性*3に関わりなく社会によって決定されるジェンダーなんていうのも、人間を無視して論じられる虚構ですから、虚構と虚構がかけあわさって、でかい負*4が産まれただけじゃありませんか?
(追記2005/06/04)
読み返して思いましたが、これ書いたときのジェンダーに対する僕の理解はずいぶん低いです。ジェンダー研究の一部の人の中に、ジェンダー、セックスなどは社会的構築物にすぎないといったことを言っている人がいますが、ジェンダー研究の人が全部そういう無茶言っているわけじゃないという考えが、この当時はあまりありませんでした。
ただ、韓流という虚構の上には論は築けないでしょという考えは変わりません。

*1:NHKの「チャングムの誓い」は僕も観てますけれどね。

*2:まあ……もっともらしいデータをでっちあげることで論を構築してきた前例なんていくらでもありますし、今でも神話として多くの信者を獲得していますからねえ……。

*3:最近の研究では性器ではなく脳の構造が性差の元となるという説が妥当なようです。

*4:虚数はかけると負になりますから。(笑)まあ、たあいないネタです。