下品と不公正

http://deadletter.hmc5.com/diary/past/2002-july.htm の7/16分。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050611#p1 より)
サルトルが斬って捨てた下品さに関しては、自分にもそういう品のなさはあるなと、ざくざく心に刺さってくるものがあります。
ただ、上のページの本題から少し離れて考えると、

「J.P.サルトル−A.カミュ論争」で、共産主義に傾倒していくサルトルの「革命」に異議を唱えるカミュが「強制収容所」の問題を追及したのだが、それに対してサルトルは、共産主義と聞けばすぐに鬼の首を取ったように「強制収容所」を持ち出すカミュは本当は心の底では「強制収容所」の存在を喜んでいるのではないか、自説の正しさがそれによって証明されたその喜びに打ち震えて隠し切れないといったように得意げに「強制収容所」の問題について語る、そういうのは下品だ、と斬って捨てていたのを、こんな時僕は思い出してしまう。

で紹介されている話は、「あまりにも痛いところを突かれて反論できなくなった人が、相手の論そのものじゃなくて、人格を攻撃する」という、ネットのそこかしこで見られるパターンを、昔のインテリがやったというだけのことではないかななんて思ってみたり。相手を下品だのと言って斬って捨てる。論者の品性よりも論の正しさが論争にとって大事だと思うのに、相手の論が正しいかどうか以外で論争を打ち切るのは、下品じゃないけれども不公正に感じます。そっちも戒めておかんとあかんのじゃないかなと*1
ただ、論争がいろんなところで起こったりすると誰も彼もときちんとした話し合いをするなんていうのはコストがかかって仕方がないわけですから、下品云々で論争を打ち切るのも手なのかな?などと思いもします。

*1:これも、自分で言ってて自分が痛い……。