靖国神社

僕は靖国神社が背負っている物語自体は、いいものわるいものひっくるめて大事にしたいと思いますが、同時に死者を悼むのに別の方法や施設をもってしようと、大多数の日本人(僕も含まれる)が納得できる、靖国神社に変わる物語を持ち出してくるなら、少し寂しいものはありますが、靖国神社以外での死者の追悼もありだと考えます。
もっとも、今よく言われる、宗教とは無関係の追悼施設とかいう、つまらない、物語の作り手の頭の悪さしか感じられない物語はいりません。死者を悼むなんて言う情緒的なものには、たっぷりと心に響く物語を用意しておいて欲しいものです。昔からあるいろんな小道具をすべて捨て去った無味乾燥な追悼施設なんぞ作るぐらいなら、人間死ねば塵芥と割り切って、追悼なんぞせんほうがいい。自分が祀られることはないでしょうが、もし祀られたとして、そんなくだらんところに祀られたくはありません。まあ、こういうのを考えていると、身内が靖国に祀られているのが嫌だという人の気持ちもわかりますね。その人たちは靖国の物語が好かんのでしょうから、身内が祀られてちゃ嫌でしょうね。
なお、よその国があーだこーだくだらないことを言ってる間は、優れた物語が作れたとしても、代替え施設建設やらはせんで欲しいですけれどもね。国家間のやりとりなんて、やくざがちょろっと知的に振るまってみせて話し合いしているのと変わりないように見えるわけで、相手の理不尽な要求を飲み続けていたらケツの毛までむしられてしまいます。まあ、うちらの政府は借金まみれでケツの毛なんて残っているのか……なんて考えると……。とほほ〜。