ID礼賛

当然、東大のシステム量子工学専攻インテリジェントデザインコースの話じゃありません。東大のインテリジェントデザインコースは研究として面白そうですが、進化論と一緒に出てくるインテリジェントデザインは単なる、けれどもやっかいな、エセ科学です。


産経Web【教育を考える】 「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く
人は自分の専門分野でも間違うものです。専門外ならなおのこと。渡辺久義先生、専門外の分野を語るときは、もう少し注意深くなさったらどうですか? 言葉の端々から進化論を全然知らないことがまるわかりです。
生物の進化は無目的で、そのときそのときにうまくいったものが後の世に伝わっていくたけです。僕ら動物の肉体というのは良くできた機械だけれども無駄な部分は非常に多い。最適解(というものがあるなら)からはほど遠い。IDのことはよく調べてはいませんが、デザイナーなどというものがいるなら、最適解からほど遠いものをよくつくるものだと思います。そういった質問に対する答えもあるのでしょうか? まさか、これから最適解に近づいていく? 馬鹿馬鹿しい。

進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです。

人間が猿から進化したなら道徳倫理が養われないと思う精神の方が、ずっとまずい。人間の素性がどんなものであっても、群れを作り身を寄せ合って生きていかなきゃ生きられない弱っちい生き物であることにかわりはなく、人間どうしうまくやっていくために道徳や倫理は必須です。
それに進化論から導き出されるある意味シビアな人間観の方が、人間の嫌な部分にたがをはめる道徳や倫理にとってふさわしいと考えますがね。
ただ、欧米では、進化論はこの手の非難を受けるのが多いためか知りませんが、道徳や倫理に言及する人、結構いてるように感じます。動物の協力行動を観察することから得られる知見から、人間の道徳的倫理的行動を促進していくためのヒントは得られるかっていう本を書いている人もいますし、そのものずばりの研究じゃなくても、多くの研究者が注意深く道徳や倫理という視点をはずさないように文章を書いている印象があります。あまり考えていない人もいるでしょうけれども。

われわれの文化の唯物論的体質が学問の世界から発しているのだから、学問の世界から矯正していこうという運動です。

学問だと言い張りたいなら、他の学問ももうちょいリスペクトしたらいかが?

渡辺先生の言葉に対しては、これが最後。

私は素人ですが、これはたちの悪い虚偽の記述だと言ってよいと思います。

渡辺先生の進化論に対する無理解や偏見に基づく言及の方が「たちの悪い虚偽の記述」です。

以下は、産経新聞記者さんによる色々な引用に対して。

「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」

マルクスおじさんは優れた人物だとは思いますが、人間本性に対する考察は、どっかにけっ飛ばしておいた方がいいものです。マルクスは神を否定するためにダーウィンの説を絶賛しました。「資本論」の2巻にダーウィンに捧げる献辞をつけたいと申し入れるほどに(ダーウィンは断りましたがね)。しかし、進化論では「人間」と「人間以外」の区別はなく、人間は動物の一種にすぎません(当然のことなわけですが)。その点を受け入れられなくて、人間は他の動物とは違う生き物なのだと、人間以外の動物の歴史と人間の歴史は違うものなのだとしました。そうでなければ「人間の本性は社会的諸関係の総和である」なんていうタワゴトは吐けなかったでしょう。自然科学を自分に都合良く利用しただけです。
人間をシビアに見る進化論と、人間にたわけた夢を見るマルクス主義を同列にあつかうのはいくら何でもひどすぎます。くそもみそも一緒くたにする人たちがいう「人間の尊厳」とはいったいどういうものなのか。

マルクス主義の影響を最も強く受けているとされる日本書籍の中学歴史教科書は平成十三年度使用版まで、見開き二ページを使ってダーウィンの進化論と旧約聖書の創世記、戦前の歴史教科書の日本神話を対比させて聖書や神話を否定的に受け止めるよう誘導していた。

マルクス主義的人間観(歴史観もかな)は百害あって一利なしなんでいくらでも叩けばいいですが、かといって創世記や日本神話を肯定(神話の部分が時事実だと肯定するという意味での肯定だと思いますが)するのは違います。
聖書も記紀もまだ全部読めちゃいませんが、どちらも面白い物語です。昔の人たちの考え方なんかも伺えて、実によいものだと思いますが、神話の部分が事実だとか肯定する気はありません。

このような教育に対し、日本神話の再評価を訴えている作家・日本画家の出雲井晶さんは「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。誰が日本人を作ったのかというロマンを教えるべきだ」と話す。

僕は、うちらの国の神話は好きです。野暮な読み方使い方をする人にはうんざりします。
上のようなのこそ、野暮の極み、です。
そして、人間が動物とは違う特別なものでなければ、子供たちが野蛮になるという動物蔑視な思い上がりが実に素晴らしい。他の動物たちも僕らと同じで、食ったり、食われたり、互いに助け合ったり、足を引っ張り合ったりしながら、精一杯生きています。そういう想像力も無い人間が子供だとか教育だとか語らないでください。
「誰が日本人を作ったのかというロマン」。……寝言は寝ているときに言ってください。日本の歴史を考える上で記紀神話は良い素材だと思いますから、教えるのは大賛成ですが、昔の人たちの想像力や、当時の生活、道徳、倫理などなどの中から生まれてきた物語としてではなく、宗教の教義のような形で教えるのは勘弁してください。

中川八洋筑波大教授は著書『正統の哲学 異端の思想』でダーウィンを批判。創造論、進化論の双方が非科学的だとしても「文明の政治社会の人間の祖先として『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化を正当化する」と論じている。

……もう、おなかいっぱいって感じです。




にしても、IDを持ち上げ、マルクス主義を叩いているわけですが、それってどうなのですかね? IDは進化には方向があるようなお話なわけですが、マルクス主義も社会にはいずれ到達するところがあるというお話なわけです。ID信じて、マルクス主義叩くってのは、ばかげている話だと思ったりするんですが、はてさて。
まあ、違う宗教どうしが闘っていると考えれば、なにもおかしなところはないっちゃないんですが……。