ノイズを排して、カスタマイズ(『「戦時下」のおたく』より)

大塚英志ササキバラ・ゴウ更科修一郎の鼎談。
萌えに関して、自意識など萌えの邪魔になるノイズを排して、快楽要素だけにカスタマイズ云々ということが語られていました。それ自体は、確かにそうなんですが、その口調は年寄りが今の若い者はあかんねというもので、現在のヲタクを嘲り嗤うものでした。
更科修一郎さんはどうか知りませんが、大塚英志ササキバラ・ゴウ両氏は憲法第九条護持の姿勢を強く打ち出していて、大塚英志さんなんか九条の会の賛同者の一人(九条の会賛同者190名)なわけです。あれこそ、互いの損得のぶつかり合いなどの人間の中のごつごつした部分、つまりはノイズを取り除いて、うちら人間という動物そのものをカスタマイズでもしなければ成り立たないしろものです*1。その日本国憲法と関わって生きていくのはノイズばりばりのうちら人間のはずなんですが(日本国憲法と関わるのはうちら日本国民だけじゃなく、よその国もそれを元に色々とものを考えたり、交渉の材料にしたりされたりするわけですから、日本国民だけに限定しません)、憲法について語るお二人の話なんか読んでいると、そういったものは感じられず、人間をかなり理想化して、自分たちの論を展開している気がしてなりません。あんたらが考えている人間ってどういうもんなんだ?という疑問が沸いてきます。憲法の運用者を理想化してみないと空理空論というかただの絵空事になるのがわかっているから、あえてそうしているのかもしれませんが。
萌えに関して言ってることは、他の多くの口から出ていることと変わりませんから、特におかしなことを言っているわけじゃありません。萌えに対する論自体は特に否定するつもりはありませんが、ノイズを排して、カスタマイズした人間像を利用して、別の話題ではぬけぬけと論を展開する人に、ノイズ除去だ、カスタマイズだなんだと言われるのは、なんとも釈然としないものがありますね。感情的に。ノイズ除去とカスタマイズはお互い様だろうがってなものです。正義振りかざしている分、向こうがなおきしょいですが。

「戦時下」のおたく

「戦時下」のおたく

*1:もっとも、第九条も額面通りに受け取るようなまねをせず、建前として掲げてうまく利用するなら、それはそれで良いと思います。これまで九条をたてに色々と面倒ごとを避けてきたように。ただ、その処世術はそろそろ通じなくなっているのが頭の痛いところです。まあ、永遠に使える処世術はないってことですね。