出雲井晶(いずもい・あき)「誰も教えてくれなかった日本神話」(途中で放棄)

記紀神話は好きでして、関連書籍を見かけると、財布と相談して買っていってるんですが……。
この本ははずれです。

しばらく前、産経新聞のID理論記事で人間と動物が同じだったら道徳もくそもないとのたまった人の話がありましたが、著者出雲井晶さんもそんな感じのことを言っています。当然ながらダーウィニズムを目の敵にしています。ダーウィニズムに触れているところで、ざっとみて目についたところを書き出してみます(全部読まずに投げ出したので、下にあるのは全てではないと思いますが、これ以上探すのはめんどいです)。

 天照様のいます高天原の真実は、どこまでいっても日のかげることのない絶対善である善いことばかりの光が遍満している世界ですから、暗黒になどなることはないのです。それに、どうしてこのような表現があるかと申しますと、神話物語の作者である古代ご先祖は、やはり三次元の現象世界に住んでいます。現象界では、つい物、事に捉われて、考えが物的にせまくなります。我利我欲がつのり強く現われます。すると自分たちが神のいのちの分けいのちであることも、その分けいのちの住む本来の世、自分たちの魂の本当のすみかは高天原だということも晦まされてしまいます。するとさまざまな禍のおこる暗黒世界が出現します。戦後五十五年間、小、中、高校とも戦後教科書のダーウィンの進化論一辺倒で教えこまれました。意識しないうちに物の考え方が清浄な神の世界から次元の低いケモノ世界に墜ちていなかったでしょうか。おもしろいことに、わが国の教科書にダーウィンの進化論を取り入れさせた占領政策を実施したアメリカでは、今、学校でダーウィンの進化論を教えないように、との裁判があちこちで起きているとか。いちど、私たちも立ちどまり、自分の心の中を見渡してみることも大切ではないでしょうか。

出雲井晶, 「誰も教えてくれなかった日本神話」, p106-107.

 この、箸が流れてきて、河上にのぼっていかれたということは、受霊(うけひ)で知らされた天照様の清明(あか)き心、天地創造の真理を、この現世に住む人びとに橋わかししようとされたのです。そのためには、須佐之男様は、ハ岐の大蛇におそわれ続けて危機に瀕している人びとを救うことから始めなければなりませんでした。このように考えれば、強大な力で地球上をとりまいて横暴に人びとを屈服させているのは、物質万能の唯物信仰です。現実には、欲望にかられた八大隊からなる盗賊であったかもしれません。

出雲井晶, 「誰も教えてくれなかった日本神話」, p121-122.

 現在の八岐の大蛇は、ダーウィンの進化論(マルクス史観の根底をなすもの)を根とする唯物論一辺倒、それによる利己主義、そこから派生する争い、戦争、核などの兵器製造、妊娠中絶、人種差別、邪教の発生、医学がすすんでもへらない病気などです。

出雲井晶, 「誰も教えてくれなかった日本神話」, p127.

頭がずきずきしてくるような文章です。ダーウィンの進化論はマルクス史観の根底って……。マルクスは進化論を自分に都合の良い部分だけ援用した人で、ダーウィンの進化論との関わりで言うならスペンサー主義と同じくトンデモです。どちらも進化論をねじ曲げています。
それにしても、そんなに人間は特別な存在じゃないとダメなんでしょうか? 右と左でカタチは違いますが、どちらにも人間が特別な生き物であると思いたがっている人が多い。そういう思い上がりが優生学共産主義社会主義での大失敗だったでしょうに(優生学共産主義社会主義だけじゃなくて、そういう事例は過去山のようにあるでしょうが)。自分たちが下等な存在だなどと思うのは馬鹿馬鹿しいですが、上等な存在だと思うのも同じぐらいに馬鹿馬鹿しい。
長く使った道具に命がやどるってな宗教観というか民間伝承というか、そういのがわが国にはあるわけで(マジで信じている人はさすがにいないでしょうが)、塵芥から生き物が生じ、長じて人間になったとしても、それほど不都合はありません。そういうことを下敷きにして、進化論を飲み込むような物語をぶちあげる力業を見せてくれたなら、拍手して差し上げるのですが……。
また、国譲りのところも高天原が力で押し通して下界を平らげたのを(そのこと自体は善でも悪でもありません)、仲良く手を取り合ってみたいに書いてみたり、ずいぶんと夢見がちです。
日本神話をあがめ奉り、仰ぎ見て、真正面から見られなくなった人の本です。