「正しい」ゆえに許される……わけないのだけれども

田山花袋の「蒲団」、当時としては許されないたぐいの小説で、ではそれを書いた田山花袋は勇気ある文人だったのか? 時代の流れからして、同じ文人仲間や、いずれは世間も許してくれるという計算があった、あんなものは勇気ではないと山本夏彦が書いていた。

 山本 キリストやわが国のえらい坊主の気持がはるかに分るような気がした。自然主義の文学は、恥を恥ともしないで告白しようとしました。田山花袋の「蒲団」の話をしましたか。
 ―― まだうかがってません。
 山本 花袋の明治四十年の作です。主人公は名のある文士で、かたわら一流の出版社の嘱託を勤めている。数え三十六で妻と三人の子がある。文士だけはアウトローだから別だが、まだ旧道徳が支配する時代です。師匠が女弟子と色恋沙汰をおこすなんてあるまじきことだった。不倫といって人倫五常にはずれたことだった。だから主人公は女弟子に手を出さずにいたが、娘が学生の恋人を作って去るまでの委曲を書いたものです。女が引き取りに来た父につれられて去ったあと、四、五日たって二階の押入の蒲団に顔をうずめてその移り香を嗅ぐという結末。今読んだら笑い出す娘が多いだろうが、当時は袋だたきにあうと予想された。それをあえて書いたのが自然主義です。だけど僕に言わせると、文壇ではよく書いたとほめてくれる人が多いだろうことをあてにして書いたんだから、それは勇気ではなかったんです。
 花袋が「蒲団」を書いたのは、明治末年で、一方に平塚雷鳥がいた。ウーマンリブの時代です。書けば、旧人は怒っても文壇と新時代の若者は支持してくれることはわかっていた。十年たてば普通の人も支持してくれる、さらに十年たてば、と細かく計算した上で花袋は書いている。それくらいの計算をしなければあれは書けない。それのどこが告白なのか。花袋は臆病で慎重な人ですよ。それでこれを書いたからなおのこと驚いたわけだよね。

山本夏彦, 「男女の仲」, p179-180.

何かするとき、人は心でそろばんをはじく。
反戦ビラも反戦落書きも、世間は自分たちの正しさを認めてくれて、許してくれると思っていただろう。正しいことは許されるのだから。けれども、許されなかったから、さらに躍起になって自分たちの正しさを声高に唱えている。出来レースだと思っていたら、実は違って、出来レースじゃないのはどうしてだ?!と憤っている。ただそれだけのことなのに。
言葉がたとえ正しくとも、行いは間違っていると心の中で飲み込んでいれば、官憲に引っ張られたあとの振る舞いも言葉も、もっと堂々としたものだったろう。間違った行いでも、凛とした姿を見せていれば、認めるものもあったろう。
もっとも、人間なかなかかっこよくは生きられないし、本当の意味で戦うなんてできやしない。醜い愚かな人たちだけれども、同じ醜さ愚かさを自分も持っている。擁護する気はわずかもないけれども、同病相憐れむで、同情はする。