人みな必死で空気読む、成否のいかんにかかわらず

上を一言で書くと「空気を読み損なった」と言うことになるかもしれません。反戦ビラや反戦落書きはサヨク全盛の頃なら、たぶん、許されていたと思うのです。そのころなら裁判官も世情を無視はできないから判決をもっと緩くしたと考えます。そして反戦ビラや反戦落書きの人たちはお上と戦った英雄として、多くの人に讃えられ祭り上げられたことでしょう。きちんと出来レースになっていたはずです。当時の空気がまだ残っていると思って、けれども残っていなかった。心の中ではじいたそろばんと、大きく違う結びとなってしまった。思い描いたものと、実際のありさまと、その食い違いを認められなくて癇癪を起こしている。そんな風に見えるわけで、「ああ、空気を読み違えのだね」と同情せずにはおれません。僕なんかに同情されたくないでしょうけれども。