自由な集団で勲章を忌避することを誇ってどうするの

[ソウル・ヨガ(イダヒロユキ) - 勲章]

どうして勲章もらうのがうれしいの?
そんな根本から考える人が減っているってのは、とっても日本のダメさを反映していると思う。私のスピリチュアリティ感覚は、勲章を欲しない。むしろ、無名性、名をなさんとしないことを尊重する。なにものかであろうとすることの権力性に敏感になることだ。

勲章を手に入れれば、勲章が持つ権威を取り込んで、自分のステータスをあげることができます。勲章を拒絶すれば、勲章の持つ権威を否定することで、勲章に拘泥しない強い自分、勲章の権威以上の自分をアピールできます。支持が集まれば、ステータスをあげることができます。勲章をもらった人を評価する人と、勲章を拒否する人を評価する人、どちらも結構な数います。勲章を拒否する人を評価する人がまったくいない(もしくそれに近いぐらい少ない)なら、勲章を拒否することは非常に特別な意味をもつと思います。たとえば、北朝鮮ならば、金正日*1に与えられた勲章に唾吐けば、どういう目に遭わされるかわかりません。そういう国(もっと広く言えば集団)でならともかく、うちらの日本では勲章に唾吐いても拍手してくれる人はたくさんいます。ある程度以上の自由がある集団では、勲章をもらって喜ぶこと、勲章を忌避すること、見かけは違っても、どちらもステータスアップの心理と絡んだ行為です。勲章をもらわないことをことさらすばらしいことのように吹聴されても、苦笑いしか出てきません。
権威に逆らっても、それを支持する人がたくさんいる集団では、権威に逆らうことで別の力に寄り添えるんですよ? 「権力性に敏感に」というなら、反権力に多くの支持が集まる集団では、反権力も、また大きな権力であるということに敏感になったらどうでしょうか*2

*1:なんで「きんしょうにち」で変換しないんだ? 金日成は「きんにっせい」で変換するのに。

*2:単純にくらべっこすれば、権力>反権力でしょうが、反権力の側にもそれなりの力があります。