オーマイニュース

[オーマイニュース編集部に行ってきました。(上)-Parsleyの「添え物は添え物らしく」]
[オーマイニュース編集部に行ってきました。(下)-Parsleyの「添え物は添え物らしく」]
まず、市民メディアって記者と編集部との結び付きがそんなに強くありませんよね。編集部側が記者にあれこれ指図をしません。したとしても、少しぐらいは考慮に入れるかもしれませんが、あまり従う義理はありません(まあ、逆に編集部も市民記者の面倒を見る義理はないわけです)。市民記者を管理するのは難しいわけです。作り手を管理できなければ、作られるものも当然管理できません。書かれた内容だけは管理下におけますが、市民記者が「ああ、あれネタだよ」(確かオーマイニュースの初期にそういうのがありませんでしたっけ)と言ったり、くだらん仕込みをしたり、記事と矛盾することを書きまくったり、ある事柄を話すのに不適切な人をひっぱてきたりしたら、内容以外の点で自分たちへの信頼を損ねることになります。この手のものだと、朝日新聞の珊瑚事件(最低の仕込み)とか、産経新聞インテリジェントデザインの記事(自然科学知らん人に自然科学語らせてどうすんの?とか)とか、信頼を損ねる記事は枚挙にいとまがありません。そんなわけで市民メディアは根本的に品質を管理しがたいものだろうとは思うわけで、あまり無茶な品質を求めるのは無理筋だとは思います。それに、オーマイニュースって働いている人はそれほど多くないように思います(実情は知りませんが、商売としてそんなに多くの人間を抱えられるとは思えません)。品質管理に割けるコストは限られています。また、オーマイニュースの影響力も、それほどたいしたものじゃありませんですから*1、市民記者のblogを見ていないとか、品質管理にコストを割いていないのも仕方がない面があると思いますし、ある程度許容してもいいんじゃないかと思います。
しかし、仕方ないから許そうよってのは外側の人間が思うことであって、内側の人間、編集部側がそのことに何の問題意識ももっていないってのはどうなのでしょうか。品質を管理するやり方を模索しようとかそういう姿は感じられず様々な言を弄して逃げているだけです。もっとメディアとして大きな影響力をもって世のなかを変えたいとか、そういう高い目標をもっているなら、少しは気にしていないといけないのではないかと思います。今のまま、個人blogに毛が生えた程度のものでいいなら、上の記事のような内容で十分だと思いますし、こちらもその程度のものだと思っておけばいいわけですが……。さて、どういったことを編集部の方たちはお考えなのでしょう。

最後に、

 最後、編集部を後にする時に、鳥越氏が各メディアで登場する際、オーマイニュース編集長としての立場なのか、それとも鳥越氏個人としてなのか、平野氏に尋ねてみた。
 すると、「オーマイニュースの意見、というものはないのですよ」というご返答だった。

「私の意見と鳥越さんの意見に違うところもあるし、若いスタッフには若いスタッフの意見がありますからね」

ってすごい言葉です。いろんな意見があることと、会社としての方針があることは違います。それがわからないような人たちだとは思いません。かなり悪質な逃げ口上です。

*1:影響力が大きいものには相応の責任感を持ってもらわないとだめなはず。