いじめ、JANJAN記事

[暮らし・いじめ対策、いま何をするべきか]
英国での事例とかそういう話は参考になりますが、だめな部分を多く含んでいる記事です。ものを考えるネタとして使わせてもらいました。

一般に自殺について単独の原因である場合は極めて稀である。例えば自殺者の90%近くは鬱状態にあるという(なお、鬱病は特殊な病ではなく、全女性の場合は5%が人生の一時期に患うといわれ、けっして少なくない病である)。「自分は生きるに値しない、人生は辛すぎる」と思う期間が一定程度続いているのが普通である。では自殺の90%は鬱が原因とすべきかというと全くそうではない。遺伝的に鬱病の人以外は鬱になる原因が何かあり、例えばそれがいじめであれば、根本原因はむしろいじめであると見なすのが正しい。

ここら辺、後段につづくものなんだろうけれども、なんかわけがわからないものになっている気が。

わが国ではいじめによる児童生徒の自殺の分析は事例研究ですら少なく、本格的研究は全くないが、英国では1年に平均約16人の児童・生徒が、いじめにより自殺し、重要問題視されてきている。過去にいじめにあった児童生徒のうち40%は自殺を考え、20%は自殺を試みたことがあるとキッズスケープ(英国の被害児童支援団体)は報告している。自殺はいじめの氷山の一角に過ぎない。

英国の事情。あまりこの手の話は目にしないから、有用な情報かな。

いじめを意味するブーリングとスイサイド(自殺)ホミサイド(殺人)など「殺し」を意味する「サイド」という語をくっつけた「ブーリサイド(いじめ殺し)」という名の本も出ている。ニール・マーとティム・フィールドの共著による2001年に出版されたその本は、いじめに遭いやすい子は、自らは攻撃的傾向が少ない優しい性格で、対人関係の問題は話し合いで解決しようとする傾向があるが、暴力をふるっていじめをする側に、むしろ付け入る隙を与え、執拗ないじめにつながることを報告している。

綴りは"bullying"なのでブーリングはちょっと違うような……。まあ、ブリングと書くと、"bring"みたいだけれども……。あと、こういうのって綴りは書いておいた方がいいんじゃないかと。字数の限られているものなら、しゅあないかと思いますが、字数制限のきつくない(と思う)JANJANなんですから。たとえば、スイサイド、ホミサイドは"suicide"、"homicide"で、サイドは"side"じゃなくて"cide"なんだけれども、カタカナにされると知らない人はどっちかわからない。

出版された本は、これかな。

Bullycide: Death at Playtime - An Expose of Child Suicide Caused by Bullying

Bullycide: Death at Playtime - An Expose of Child Suicide Caused by Bullying

邦訳がない本のタイトルはきちんど書いて欲しい気が。まあ、洋書読むのはしんどいので、読んだりはしないけれども、一応参考文献なんですから、書いておいて欲しいなあと。

わが国ではいじめについて、以前より問題視されているが、根本的に減らすには、人の痛みを分かる子供に育てることが基本だ。この点で教育の見直しは重要であるが、どのような社会でもいじめをする子供が一定程度いることを考えると、むしろ当面の対策は2つである。

人の痛みがわかっても、いじめはなくなりませんよ。「あいつは俺/私の仲間じゃない」とすれば、いくら痛めつけてもそれほど心は痛みませんし。減るとしてもわずかでは? 精神論では問題はよくならないと思います。

統計の取り方のような基本問題も含めて、問題を直視し、被害児童のケアと支援を優先する体制を作らねばならず、そのため、各公立小・中学校に民間からも募って「いじめオンブズマン」を任命し、いじめ問題の解決には校長以上の決定権を持たせることが考えられる。

これはちょっと……。学校という閉鎖的な場所に外部の目を入れるというのは良いことですが、校長以上の決定権って……。

2つ目はいじめを受ける子供への救済制度を作ることである。いじめをなくすことができなくても、いじめを受ける子供を救済することはできる。もともと非暴力的で優しい気質の子供に、いじめに抵抗せよとか耐えよというのは無効な手段である。彼らに必要なのはいじめの原因となる子供たちと即、引き離されることである。

「非暴力的で優しい気質」……ですか。そういう子ってどれぐらいいるんでしょうね? 力が無いから優しく振る舞うしか知らないんだと思いますよ。外では優しいと評判の子も、力を思うさま振るえる相手(例えば親なんか)には暴力振るったりするなんてよくありますよ。というかいじめられる子は「良い子」なんですか? いじめられる子にはいじめられる原因があるみたいな話は、ばかばかしいものが多くて、まず、いじめるやつが悪いわけです。*1、ただ、いじめられる側が正しい人間であるという保証はどこにもありません。いじめっ子がいじめられっ子になる、いじめられっ子がいじめっ子になるなんて、不思議な話じゃありません。「彼らに必要なのはいじめの原因となる子供たちと即、引き離されることである。」には同意します。それは、いじめられっ子が「良い子」であるかどうかには関係ない話ですしね。

例えば全国にいくつか全寮制のいじめ被害者児童生徒用公立小学校・中学校を作り、いじめの被害にあっていると訴える子供は、希望すればその学校への転学をすぐに許可し、またすでに受けた精神的トラウマのケアのカウンセリングもし、事態が悪化することを防ぐことが必要である。

いじめって閉じた、逃げ場の無い場所で起こりやすいものだと思いますから、全寮制なんていう閉じた空間に子供をたたき込んでどうすんのだろうか?って気がします。いじめられっ子だけを集めたら、いじめは生じない? そんなバカな。いじめられっ子はいじめる能力がないから、いじめをしてないんですよ。なにがしかあって、いじめっ子のリーダーとお近づきに慣れたなら、ジョブチェンジしていじめっ子に変わるなんてよくある話です。いじめられっ子で腕力をつけて、いじめっ子(しかもリーダー)にジョブチェンジしたりってのもあります(僕の友人の一人がこんな感じです)。いじめっ子という強者から離れて、弱いものだけになれば、今度は弱いものの中で強い子がいじめを始めますよ。群れを作る能力が完全に欠けた子供ばかり集まれば、いじめは起きないかも知れませんが……。それはちょっとあり得ないと思います。まあ、寮の作り方や運営の仕方にもよるかな?って気はしますが……。


以下、コメント欄に対して。
[22516] 現代のイジメ
とくに感想なし。


[22521] 文部科学省の写真について
うわ、……安住るりさんのコメントか……。後半は具にもつかぬ事が書かれていますが、前半は体験談なので、まともです。


[22537] いじめと文化的不寛容
数学が得意な子へのいじめの事例が興味深いです。ただ、次のくだりは頭が痛いです。

でも、読書や数学に没頭する子供に対しては、ナード(社交的でなく退屈な奴)という一種の差別語はありますが、いじめや執拗な嫌がらせに至ったというエピソードは米国ではまず聞いたことがありません。

山口一男さん、アメリカ在住のようですが、自分が住んでいる場所、選んだ場所の嫌なところを知りたくないから聞こえないだけでは?


[22647] アメリカでのいじめ

私はこの経験から、私個人としては、いじめは日本人のDNAとして
脳の中に組み込まれているのではないかと信じるようになりました。

……本気で言っているのでしょうか? こういう自虐的なネタも日本人のDNAに刻みつけられているんでしょうか?(棒読み)


[22680] いじめは暴力です
子供が馬鹿をやらないようにしめろって話でしょうか?


[22692] いじめの原因

DNAうんぬんはともかく、日本になぜいじめが多いのか。これはもっと真剣に考えられて良いと思います。いじめは昔からあったけれど、現在はより多く内容もひどくなった気がします、日本にも「弱いものいじめをするな」という道徳もありましたが、現在はほとんど死語同様です。実は米国と英国では同じ英文圏でも、ずいぶん違うように思います。いわゆるいじめは、英国には結構多く、米国ではほとんど聞かない。アメリカではいじめをするものをCOWARDと見る傾向が強いし、次第に人々の多様性を良いことだと思いそれが定着した(人種差別がひどかった昔は全くく違っていた)ことも大きいと思います。英国とそこが違うということでしょうか。いずれにせよいじめは社会・文化のありかたによってずいぶん違ってくると思います。

女の子どうしって、ややこしい!

女の子どうしって、ややこしい!

って女の子にしぼったものですが、アメリカでのいじめに関する本もあるんですが……。
ほかにもっていう本も。
上のナードの話にしても、ナードやそのたぐいの人がいじめにあう話なんて日本にいてもたまに目にします。たしか、『サウスパーク』のトレイ・パーカー、マット・ストーンだったか、高校生のころ自分をいじめてた連中(アメリカの高校はスポーツ優秀なやつの天下だとか)が汗水垂らして安い給料で働いているのを、カフェでコーヒー飲みながら観るのが楽しいとか、そんなこといってたように思います。ちょっとどこで見かけたか覚えてませんし、他の人のエピソードだったかもしれませんが。
少し脱線しますが、山口一男さん、どうしてこうもアメリカのいじめについて見えないのか。
ある集団を抜けて、別の集団に移る。これって大変なことです。色んな習慣が違う場所で生きるのは色々と気苦労もあるでしょう。そういうとき自分の選択は正しかったのか?と心に問うようになるんじゃないでしょうか? そこで己の選択の正しさが揺らぐと、なんで僕/私はこんなことをしたのだろうか?となってしまいます。ですから、己の選択は正しくなければなりません。自分が選んだ場所はユートピアでなければなりません。ですから、ユートピアのあらは目に入っちゃいけません。そんなものは無いんです。そんな感じの心理なのかなと愚考する次第です。ちなみに、ユートピアだと思っていった先で、嫌な目にあうと[パリ症候群]みたいな話になってしまうのでしょうね。

話を戻します。

そして、「アメリカではいじめをするものをCOWARDと見る傾向が強いし」って、日本でも「いじめは卑怯」とかそんな言葉自体はそこら中で見かけます。いじめは強いものが弱いものをたたきのめすことです。それってある状況では卑怯ですが、別の状況では正しいことです。暴力はときに賞賛され、ときに忌避されます。悪い人を懲らしめるなら、力を使うのは賞賛されます。いじめられっ子は悪とまで言わずとも、子供たちの仲間からはずされています、いじめるのは「悪いことじゃない」んですよ。他人からみれば卑怯なことも、当事者にとっては正しいことなんです。嫌な話ですが。日本でもアメリカでも、いじめをする人間は悪いやつです。それはたいがいの人が思っていると僕は思います。ただし、自分がいじめをする当事者になったら、都合良く忘れるんですよ。


[22693] 三上三太さま

いじめは英語でBULLINGですから、「ブリハラ」とでもいいましようか。

いじめは"bulying"でしょ……。辞書ぐらい引きましょうよ。あと「いじめ」と「いやがらせ」(ハラスメント、"harassment")を混ぜた言葉を作る意味なんてあるんでしょうか? いじめって様々な嫌がらせを含んだ、複合的な行為だと思うんですが……。

*1:まあ、他人に喧嘩売りまくって大勢の反発を買って、結果、たこなぐりにされるとか、そういう人は、本人に原因があると思いますけれどもね……。