マーブなんていないよ

[深夜のシマネコBlog: 上野千鶴子先生が、私の平和観を肯定してくださっています]

これってマジなんですか? それとも釣り? 以前、俺の言うことは全部仮定じゃ、釣りじゃみたいなことをいう人がいましたが、その手の人の同類さん?

戦争無き平和な社会では日常茶飯事が、富裕層は富裕層のまま、安定労働層は安定労働層のまま。そして不安定貧困層は不安定貧困層のまま続くのです。

戦争が過程で平和が状態であるのならば、私たちのような不安定労働層はその固定化された状態のタガを外し、過程の状況に社会を流動させなければ、一生、不安定貧困層であろうことは変えようがないのです。

戦争みたいな洒落にならん世の中大荒れの大イベントが起こったら、不安定労働層に仕事が回ってくる? とてもそうは思えないんですが……。世の中がごたついているときにこそ輝く才能というのもあるでしょうから、マーヴ(『SIN CITY』)のように生まれてくる時代を間違えた人は戦争になったら輝くかもしれません。けれども、不遇な人たちのほとんどはマーブじゃなくて、今の平和な世の中で生きる上で必要な様々な能力を養ってきた人たちでしょう。戦争になったらうまくやれる能があるわけじゃありません。余裕のある時代に不遇であるのに、荒れた世の中になったら、なお、悲惨な目にあうと思うのですが。
僕が片隅で生きているIT業界っていうのは、余剰の上に成り立っているシステムってのも多いわけで、社会が揺らげばそういうのは切り捨てられていくことでしょう。自分も生活の基盤になるシステムの構築とは全然違う領域で仕事しているので、社会に余裕が無くなったら仕事がなくなって、職にあぶれるんじゃないかと思います。IT業界じゃなくとも、余剰の上に成り立っている職は多くあって、そういった職ついている人はどんどん仕事を失うでしょう。かなり世の中の状況が悪くなったら、食い物を握っている農家がつよくなったりしてね。戦後みたく。けれども、僕や他の人が職を失って、違う人が僕らが失った職を得るかって言うと……。いす取りゲームのいす、あいたわけじゃなくて、ゲームから取り除かれてしまったのです。誰も座れません。別の形のいすも生まれるでしょうが、そのいすに座れるのは目端の利く人間だけじゃありませんかね。まあ、そんな目端の利く人間は、今の世の中でもそんな不遇を託っているとは思いませんから、今、不遇を託っている人に、新しいいすに座れる人がどれほどいるのか怪しいものです。
平和で、ある程度の余剰がある世の中で不遇な人が、厳しい世の中で機会を掴めるなんて、絵空事にすぎないと思います。もちろん「何かあれば俺/私だって」と思うことは心の慰めになると思いますが、本気でそんなことを語るのはむなしいだけじゃありませんか?
戦争とかじゃなくて、なんかばーっと世の中の景気が良くなるようなことがあったら、目端が利かなくても座れるいすが増えて、みんなハッピーになれそうですが、まあ、そんな夢をみるのも……。僕自身、これから、ちょっと運がわるけりゃワーキングプアの仲間入りをしてもおかしかないようなたぐいの、目端の利かない人間です。景気が良くなっていすが増えると良いなあと強く思いますが、戦争なんぞになられたら、たまったもんじゃねえと思います。僕みたいなのから、まっさきに細って死んでいくんじゃないかって思いますから。