道具は使う人しだい

心に青雲とは青雲の志を抱くこと。弁証法、認識論を踏まえ、空手、科学、芸術、時事問題などを論じます。

弁証法だの認識論だのは、所詮、モノを考える道具にすぎず、そして道具は使い方がわからなければ、なんの意味もありません。
あと科学(自然科学ってことなんだろうけど)って言葉は使うのやめたほうがよくね? 全然科学的じゃないもの。

[心に青雲 食べ物の好き嫌いはなぜ起きる]

子どもは本来は、食べ物の好き嫌いはない。うまれつきピーマンが嫌い、ニンジンが嫌いとはなっていない。なぜなら味覚は創られるものであって、子どもにとって初めての食物の味は知らないからだ。

子供は空白の石版ですか? 後天的な知識だけで人は人になるとでも?

第一に、子どもは食物の味を生まれながらに知っているわけがないので、親は初めに「これはおいしいのよ」と教えながら食べさせねばならない、とわが流派の最高幹部は説かれる。

空手の流派のプロが子育てのプロってわけでもないでしょうに。そんなわけわからん話を信じてどうすんのって感じです。
「子どもは食物の味を生まれながらに知っているわけがない」って、そりゃ「苺がどんな味か」は知らないでしょうが、どういうものを食べて良いか悪いかを未熟ながらも持っているでしょう。人間、やばいもの食べたら死んじゃうわけで、そのやばさの判断基準の一つは味です。大人ほどには磨かれていなくても、味を判断する能力は持っていると考えるのが妥当だと思いますがね。
というか、この手の人って子供を人間と見なさないね。未熟で、さまざまな助けを得ながら磨いていく必要があっても、大人と同じものを子供は持っているだろうに、それを認めない。子供っていう存在をものすごい自分勝手に見ている。

赤ん坊は腹がすけば、わんわん泣いて何か食べたいと要求する。すきっ腹ならなんでもおいしく食べられるものを、たいていの家庭はそうはしていない。わが流派の最高幹部はこう説かれる。「腹が減って泣きわめくことで、食への必要性が感情レベルで育つのだ。子どもの腹タイムにあわせて食べさせれば、食べ物の好き嫌いは育たない。ところがどこの家庭でも、パパの出勤時間にあわせて食を与えるから、子どもに好き嫌いができる」と。

「すきっ腹ならなんでもおいしく食べられる」は確かにある程度までは正しいです。ただ、すきっ腹でも嫌いなものは食べない人、多いでしょ。好き嫌いに関係なく、なんでもかんでも食べるぐらいにうえてかつえてなんて状態にどれぐらいの人がおいこまれますか……。

だから親の都合で設定された食事時間に、すきっ腹ならなんでも夢中で食べるだろうが、まだ食う気持ち(生理状態)になっていないとしたら、好き嫌いを言いたくなるだろう。そのうえ、愚にもつかぬ甘いお菓子を、オヤツと言っては与え、ほしがるからと言っては与えていれば、肝心の食事のときに空腹になっていない。当然、ピーマンやニンジンより甘いお菓子のほうがいいと子どもは思うようになる。これもまた好き嫌いを発生させるもとだ。

空きっ腹に食べるからお菓子を好きになるんじゃなくて、ピーマンよりお菓子がおいしいからですよ。わけのわからない理論に踊って、ようここまでオモシロイことを言えるなあと思います。

だから子どもに食べ物の好き嫌いをさせたくなかったら、最初から大人の食事時間にはあわせず、もう腹が減って死にそう、と子どもが思うときに、食事を与えることなのである。そうすれば、ピーマンだろうがニンジンだろうがむさぼり食うのだ。

虐待ですか。

…と概略そういう話をして、パパの冤罪を晴らしてやろうとしたのだが、くだんの母親はあまりわかったような顔をしていなかった。どうしても生まれつき好き嫌いがあると信じている。何故好き嫌いが起きるか、どうしたら好き嫌いをなくせるかを考えない。こういう親が多い。だから大人になっても、好き嫌いのまま。

好き嫌いは先天的なもの、後天的なもの二つがまざって、できあがると思いますが……。そのできあがり方は、記事に書かれているような珍妙なものじゃないだろうなとは思いますよ。
というか、珍妙な理論で子供を育てようとする人によって生まれる好き嫌いもあるんじゃありませんかね。

たかだか「食べ物の好き嫌いはなぜ起きるか」程度のことであっても、なぜ?と考えることを放棄してしまう。きっと生まれつきなんだわ、で済ませてしまう。これは最近説いてきた問題の、病気というものがあって、それに(不可抗力で)“かかる”もので、しょうがないと思っている人たちと同じことだ。子どものころから、学校の勉強のほとんどが考える訓練ではなくて、覚えること(記憶すること)と、それを使う(与えられた問題を解く)ことだけしか訓練されないから、こうなるのだ。

考えた結果が上の記事のようなものだったなら、考えない方がマシですね。僕は考えることは良いことだとは思いますが、考えることすべてが良い事だとは思いません。下手の考え休むに似たりという言葉がありますが、実際には休んでいるだけなら害はないんですが、下手の考えから生まれたものは有害なことがあります。