男性性の否定ではなく

http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20060305/p1
http://d.hatena.ne.jp/Nachbar/20060306#p1 より)

■第1段階
女性と女性の絡みを眺めることによる精神的充足。
女性に対して美を求めている男性ならば、美×美の構図には違和感を覚えないだろう。
だからこそ多くの人は百合を属性として捉え、一つの萌えとして認識している。
この段階ではまだ世界観萌えの状態で客観的、もしくは俯瞰的な立場にあると言える。
ある種のネタとして扱えるレベルであり、大半の萌えオタはこの要素を含んでいるはずである。

■第2段階
脳内での女性キャラクターへの同一化による、感情移入。
見ているだけでは物足りず、女性との絡みからさらに深い萌えを得ようとし、
女性への置換作業を脳内で行う。男性は情景を憧憬として捉えている。
バイセクシャルの前衛的な形であると言える(のかもしれない)。

■第3段階
男性への嫌悪→自己の否定。
女性への憧れがクリティカルマスを越えると引き起こる。

上が妥当かどうかともかくとして、自分は第1段階ぐらいまではあるかな。でもそれ以上はない。女性になりたいとか、そういう気持ちってそんなにないし。性別が変わろうと駄目な自分にかわりはなかろうしな……。(血涙)それはさておき、えーと自分におもくそ刺さってくる話なんで、以降、極力自分のことは棚上げして書きます。

行き着くところは男性性の否定というのは違うのではないかと。
動物の世界、雌を獲得するための雄の争い(動物行動学なんかでは雄間闘争という)ってのは熾烈で、そして人間も動物の一種で、手段はさまざまだけれども、お姉ちゃんをゲットするためにいろんな争いを争っている。お姉ちゃんとつきあうためにすげー金額を横領したおっさんらがいてる。豚箱から一生出てくんなと思うけれども、あれなんかその最たるものでしょう。他の雄を押さえ、お姉ちゃんと乳繰りあうために、法を破ってでも金を得るっていう。ホリエモンも女性がらみの発言は実に正直で、そこのところは好きです*1。そういった雄間闘争ってものが嫌なんだと思うんですよね。他の雄との競争が嫌で嫌でたまんない。勝てそうにないから*2
絵空事の中でむつみ合っている男女を見ると、男に感情移入というか自分を投影してエロいことを考えるわけだけれども、それじゃあその男に自己投影できなかったら*3? 絵空事の男とも争わないといけないような気持ちが起こるんじゃないか。そして、そういうのすっげー嫌、と。
けれども、女同士のからみなら、男は出てこない。他の雄との争いを考えなくてすむ、実に安全で心がざわめかないエログッズとなる。だから、男性性の否定ではなくて、雄間闘争の忌避ではないかと僕は考える。
なんか、やおい漫画に関して、男同士の性愛だからそれを好む女性にとって安全なのだっていう説があるけれども、それちょっと変えて男性版にしてみましたってな感じだな、わいの考え。

*1:あまり一緒に仕事をしたい人じゃないけれども……。

*2:自分の心が痛い……。

*3:これと似た話で、しろはたさんがエロゲーの主人公への感情移入に関していろいろと実につらーいことをいっていた気が。