コスタリカの「平和」

ワールドピースナウ不当逮捕に厳重に抗議する緊急声明。
コメント欄,前ふりは少しあるにはあるけれども,いきなりWPNからコスタリカに飛んでいますね.

「残念ながら二次資料に基づいて構成されているため,一次資料にあたった反論が――」とありますが,これは一次資料にあたっていないものは,すべて間違っているということでしょうか? まず,誤解して欲しくありませんから先に書いておきますが,なにがしかを論じるに際して一次資料にあたる必要はないなどと言いたいわけではありません.その点ご了承ください.
一次資料とて読み違えれば何ら役立たせることはできません.一次資料にあたった人が必要な情報だけ取りあげるなどより多く主観が混じるのが*1二次以降の資料であり,また伝言ゲームのように間違いも混じる可能性もあるでしょう.しかし,数多く読み込んでいけば,二次資料を作った人の主観など排して,ものごとの形をつかむことができると考えます.一次資料にあたる方がより本質を掴みやすく,また一次資料にあたっておけば二次資料が(一次資料の)どのような解釈の上で作られたかも理解しやすいのは当然でしょうけれど,二次資料でも多く読み込めば本質に近づいていけると考えます*2.ですから,一次資料にあたった人の反論によって論破されたというだけでは納得はできません.
コメント欄に紹介されている以下の2つのURL
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/sindou.html (アジア・アフリカ研究所所員 新藤通弘氏の論文)
http://obiekt.hp.infoseek.co.jp/peacemaker/costarica.html (最強警察コスタリカ)
下のページはそれほど多くの資料にあたっているようではありませんが,上の新藤通弘さんの論文はかなりの資料にあたっています.資料がすべて二次以降の資料だったとしても,それぞれにある程度の正しさをもったもののはずです.あたった資料のほとんどが間違っているのでなければ,かなり本質に近づけているのじゃないかと考えます.ですから,「怪情報」と切って捨てるのはどうなんだろうかと思います.この場合,どういった資料で反論がなされているのかを提示する必要があると思います.あまりにも愚にもつかないものに対しては,必要ないかもしれませんが,新藤通弘さんの論文のように,精細にかかれているものにはそれなりの対応が必要だと思います.その資料を紹介したなら,新藤通弘さんの論文を出してきた人や,blogを読んでいる人*3がそれを読んで正しい間違っているという判断をするでしょう.

最後に上に出てきた新藤論文についての感想を書いておきます.平和を守ろうと言わなくなると終わりだと思いますが,平和平和と唱えているだけで平和が守られるなら,これほど楽なことはありません.「平和は,われわれが平和の歌を歌っていれば,それで守られるというものではない.いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら,ついでに台風の襲来も,憲法で禁止しておいた方がよかった」*4と田中美知太郎という方が仰ったそうです*5.僕は新藤論文の中に,平和平和とただ高唱するだけでなく,平和維持のために悩み苦しみ努力しているコスタリカの人たちの姿が伺えて,非常に納得できました.

*1:一次資料もものによっては主観が混じっているでしょう.

*2:二次資料を作った人が,無茶な間違いをしでかすような人ばかりで,どうしようもない誤りを含んでいれば,話は別ですが……

*3:これは僕も含まれますね.

*4:戦争は人間がやらかすものですから,単なる自然現象である台風よりも,なお始末に負えません.

*5:山本夏彦さんの著書の中で何度か出てくる言葉です.しかも,これは改憲を唱えても問題視されない今とは違い,護憲でなくば人にあらずといった風潮の中での言葉だそうです.なんとも硬派なお人です.この言葉はネット上で調べるといくつものヴァリエーションがあります.どこでどういう時に出てきたものなのか調べてみたいところです.上にあげたものは楽天広場(日記・ブログ):日記 斧に気をつけろ - 普通の人に引かれ・・・から引き写したものです.