なんと厳かで…… なんと美しく…… なんと虚しい……(アライJr@バキ調で)

昨日は広島に原爆が落とされた日です。
広島平和記念式典の様子がテレビで流れていたわけですが、素晴らしく無駄な茶番劇だなと。
大人の作文を子供に読ませる演出なんかも入っているわけですが、それを書いている大人の当事者意識の無さ、誰が読むのかを考えていないいい加減さはあきれるものでした。大人がしあげた作文は、自分たちが何か不運に見舞われることなどまったく考えていない、不幸は自分たちとは関わりない別の場所で行われるんじゃないかという代物であり、世界の子供が不運に見舞われているといったことを子供に読ませながら、作文を読みあげる子供たちもまたその当事者になることがあり得るのだという発想は皆無でもあります。読んでいる子供たちは、大人の言うことを聞いているだけなので、あまり責めるのはかわいそうなのですが……、やはり子供たちにとっても所詮他人事ゆえにうすらざむい言葉をそのまま自分たちの口からはき出していました。大役を与えられたわけで、はき出す言葉にどこか熱に浮かされたような調子は伺えますが、本当の熱はこもっていません。また暴力ではなく話し合いで解決という言葉が出てきましたが、その作文を書いた大人たちは話し合いをする、そのやり方を子供たちに教えているのでしょうか? ごく一部でやっている人はいるでしょうが、広くそういったことをしようという話は、とんと聞いたことありません。結局のところは、自分たちは何かやっている、努力しているという姿を見せたいというただそれだけの茶番劇です*1。厳かで美しく、そしてとびっきり虚しい。
郵政民営化で心ここにあらず、力なく式辞を述べていた小泉首相だけが、ああ、この人こんなところにいたくないんだろうなあ、表情が俺なんでこんなところにいんだろうって感じだなあと、一人だけ嫌な感じに現実が背中に張り付いていました。うすらざむい絵空事のなかに出現した嫌な現実、昨日に限ってはそれは僕にとって救いでした。小泉首相に張り付いた嫌な現実のおかげで、気持ち悪いのに何故か見続けていた絵空事から目をはなすことができたのですが、あの虚しい式典はおなじように続いていったのでしょうか? 続いていったのでしょうね。

*1:こういうのを「ためにする」っていうのでしょうか。